蒸気船の建造
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日本で最初に建造された蒸気船は、1855年に薩摩藩が竣工させた「雲行丸」である。それまでに「昇平丸」など西洋式帆船の建造を進めていた薩摩藩は、黒船来航前の1851年から蒸気機関の製造も試みていた。オランダの書物を翻訳して参考とし、1855年7月に江戸藩邸において陸上での試運転に成功した。そして、同年8月に薩摩から回航した「雲行丸」への搭載を行い、日本初の蒸気船とした。同船は全長54尺(16.4m)で、推進方式はサイドレバー式の外輪船だった。同船は単なる実験船にとどまらず、連絡用などとして実用された。もっとも、書物のみを参考に製造されたため、設計出力よりもかなり低い性能しか発揮できなかった。 また、嘉永6年(1853年)、佐賀藩の精錬方であった田中久重、中村奇輔、石黒寛二らによって外国の文献を頼りに蒸気機関車や蒸気船の雛型 (模型) が製作された。 このほか、宇和島藩でも、藩主伊達宗城が村田蔵六に命じてオランダの書物を翻訳させ、嘉蔵という提灯屋の男(前原巧山)を製造担当者として実験的な蒸気船を1855年に完成させている。 実用的な国産蒸気船としては、佐賀藩が三重津海軍所で建造した「凌風丸」(1865年竣工・外輪式)が最初と言われ、ほか幕府が建造した軍艦「千代田形」(1866年竣工・スクリュー式)がある。同じく幕府建造船として「先登丸」という船もあるが、詳細は明らかでない。
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蒸気船の建造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:11 UTC 版)
宗城は、村田蔵六を200石で招聘し、オランダ語の専門書を翻訳して、船を設計するよう命じた。一方で、和船に大砲を積んで砲撃実験を始め、さらに黒船に似た外輪を持つ人力の和船を取り寄せ、研究させた。肝心の蒸気機関は、城下にいた提灯屋の嘉蔵(のちの前原巧山)を抜擢して、製作を命じる。藩を挙げての試行錯誤の末、実験的な蒸気船が完成した。黒船来航からわずか3年後のことである。一般には外国人技師を雇った薩摩藩の船が日本初の蒸気船とされているが、宇和島藩の船は日本人だけで作った蒸気船の第1号であった。
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