蒸気船の建造とは? わかりやすく解説

蒸気船の建造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 02:22 UTC 版)

蒸気船」の記事における「蒸気船の建造」の解説

日本最初に建造され蒸気船は、1855年薩摩藩竣工させた「雲行丸」である。それまでに「昇平丸」など西洋式帆船建造進めていた薩摩藩は、黒船来航前の1851年から蒸気機関の製造試みていた。オランダ書物翻訳して参考とし、1855年7月江戸藩邸において陸上での試運転成功した。そして、同年8月薩摩から回航した「雲行丸」への搭載行い日本初蒸気船とした。同船全長54尺(16.4m)で、推進方式はサイドレバー式の外輪船だった。同船単なる実験船にとどまらず連絡用などとして実用された。もっとも、書物のみを参考製造されたため、設計出力よりもかなり低い性能しか発揮できなかった。 また、嘉永6年1853年)、佐賀藩精錬方であった田中久重中村奇輔、石黒寛二らによって外国文献頼り蒸気機関車蒸気船雛型 (模型) が製作された。 このほか、宇和島藩でも、藩主伊達宗城村田蔵六命じてオランダ書物翻訳させ、嘉蔵という提灯屋の男(前原巧山)を製造担当者として実験的な蒸気船1855年完成させている。 実用的な国産蒸気船としては、佐賀藩三重津海軍所建造した凌風丸」(1865年竣工外輪式)が最初と言われ、ほか幕府建造した軍艦千代田形」(1866年竣工スクリュー式)がある。同じく幕府建造船として「先登丸」という船もあるが、詳細明らかでない

※この「蒸気船の建造」の解説は、「蒸気船」の解説の一部です。
「蒸気船の建造」を含む「蒸気船」の記事については、「蒸気船」の概要を参照ください。


蒸気船の建造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:11 UTC 版)

伊達宗城」の記事における「蒸気船の建造」の解説

宗城は、村田蔵六200石で招聘し、オランダ語専門書翻訳して、船を設計するよう命じた一方で和船大砲積んで砲撃実験始め、さらに黒船似た外輪を持つ人力和船取り寄せ研究させた。肝心蒸気機関は、城下にいた提灯屋嘉蔵(のちの前原巧山)を抜擢して、製作を命じる。藩を挙げて試行錯誤の末、実験的な蒸気船完成した黒船来航からわずか3年後のことである。一般に外国人技師雇った薩摩藩の船が日本初蒸気船とされているが、宇和島藩の船は日本人だけで作った蒸気船第1号であった

※この「蒸気船の建造」の解説は、「伊達宗城」の解説の一部です。
「蒸気船の建造」を含む「伊達宗城」の記事については、「伊達宗城」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「蒸気船の建造」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蒸気船の建造」の関連用語

蒸気船の建造のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蒸気船の建造のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの蒸気船 (改訂履歴)、伊達宗城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS