蒸気船会社を経営再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 14:01 UTC 版)
「偕行会社」は士族授産のために創立された蒸気船会社で、岡山・神戸・大阪間で営業していたが、大阪・神戸間に鉄道が開通した明治7年(1874年)5月以降、経営危機に陥った。弘道は乞われて偕行会社取締役に就任、再建のために奔走することになる。弘道が官界を辞して帰岡した本当の理由はここにあった。幕末・維新期に奔走した岡山・大阪間(ときに東京まで)を慌ただしく行き来する生活が再び始まったのである。偕行会社は池田家および国立第二十二銀行からの融資で経営再建が成った。弘道は1年後に偕行会社を辞し第二十二国立銀行(のちの富士銀行、現みずほ銀行)取締役に就任、士族授産に力を尽くす。その後、偕行会社は発展的に解散して大阪商船(のちの関西汽船、現商船三井)となった。
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