蒸気鉄道から電化まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:11 UTC 版)
「シレジア・インターアーバン」の記事における「蒸気鉄道から電化まで」の解説
現在のシロンスク県に属するアッパーシレジア地方では、ドイツ時代の19世紀後半の時点で鉄道が輸送機関として使用されていたが、これらは工場の物資輸送が目的であり、工場の労働者が居住する都市や地域の発展に伴い旅客用の公共交通機関が求められるようになった。それを受け、1880年代から各地域を結ぶ鉄道路線の検討が始まり、1892年にドイツ・ベルリンの企業とアッパーシレジア地方のビトム市との間に鉄道建設に関する契約が結ばれた。当初は軌間1,000 mmで貨物輸送も実施する計画が構想されていたが、前者は収益性の兼ね合いから785 mmに変更された他、後者に関しては行政から禁止が命じられ、実現しなかった。最初の路線となるビトム - ピェカルィ間の営業運転が始まったのは1894年5月27日であった。 以降は各地域へ向けて路線網の延伸が進められたが、その中で騒音や煤煙が問題視され、1895年にはビトムやグリヴィツェ市内中心部の運用が鉄道馬車に変更される事態となった。それを受け、1896年以降蒸気鉄道を当時の最新技術であった路面電車へ置き換える計画が開始され、発電所の建設を経て1898年に最初の電車が営業運転を開始した。また、同年にはカトヴィツェに本社を置く別企業も路面電車の建設を開始し、1899年以降順次路線網を広げていった。これらの2つの企業は競争を避けるため同年7月7日に合併が行われ、シレジア地方鉄道株式会社(Schesische Kleinbahn Aktien Gesellshaft)が設立されている。以降同社は路線網の電化を積極的に実施し、1901年12月までに蒸気機関車を用いた営業運転は終了したとされている。
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