画家から発明家へとは? わかりやすく解説

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画家から発明家へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 08:27 UTC 版)

ロバート・フルトン」の記事における「画家から発明家へ」の解説

ロバート・フルトンは、ペンシルベニア州ランカスター生まれたフルトンアメリカ合衆国肖像画家をしていたが、1786年英国渡り画家ベンジャミン・ウエスト弟子となった産業革命による社会変革期英国で、彼の興味は絵から産業技術へと移った運河水位に関する機構大理石切断用鋸に関して特許取ったりした。 1797年、彼はナポレオン戦争に沸くフランスへ渡ったフランス政府世界初の手動式潜水艦であるノーティラス設計して売り込んだり、英国侵攻為の兵員輸送用曳き舟として蒸気船試作して売り込んだりもしたが共に失敗した。この時、知り合った駐仏米国公使 ロバート・R・リビングストンRobert Livingston)から援助を受け、1803年8月9日船長31m、船幅2.4mで左右舷側に3.5mの直径外輪外車)を備え外輪船外車船)を造りセーヌ川試走させて、時速2.9マイル流れさかのぼ能力示した。この実験結果元にフランス政府重ねて彼の造る蒸気船の建造計画売り込んだ採用されなかったため、1804年英国戻った英国でも良い成果得られなかったため、1806年母国アメリカ戻った。ほぼ同時期に帰国したリビングストンから援助受けてハドソン川蒸気船建造することになった英国滞在時に注文していた蒸気機関本体が、英ボールトン・アンド・ワット社より帆船によって彼の元へ届けられ、2本のマスト備えた新造蒸気船完成した。この船は船長42.8m、船幅4.3m、喫水1.2m、排水量80トンであったためL/Bがほぼ10という非常に細長いであった蒸気機関内径61cmストローク122cmのピストン・シリンダーから20馬力出力得られた。この船は「ノース・リバー・スティームボート・オブ・クラーモント」と名付けられ通称「クラーモント」(Clermont)と呼ばれた。クラーモントはリビングストン所有地の名前であった当時蒸気船まともに動くものがほとんど無かったために、1807年ハドソン川での試運転までは周囲から「フルトン愚行」と呼ばれていた。

※この「画家から発明家へ」の解説は、「ロバート・フルトン」の解説の一部です。
「画家から発明家へ」を含む「ロバート・フルトン」の記事については、「ロバート・フルトン」の概要を参照ください。

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