画学生時代まで
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嘉永6年1月22日(1853年3月1日)、鳥取藩士の父・遠藤重嘉、母・雪の長男。幼名は東造。 文久元年1月(1861年1月または2月)、尚徳館に入り、坂田潤蔵の門弟となる。元治元年(1864年)、根本雪峨に入門。画を学ぶ。慶応元年(1865年)、東造から藤蔵に改名。 1874年(明治7年)、広島師範学校に入学し、原介一に初めて洋画を学ぶ。1877年(明治10年)、上京して高橋由一の「天絵社」に入学、ここでも洋画を教授される。1878年(明治11年)、画学伝習に尽力したとして10円を支給される。この年自画像(30号)(焼失)を描く。
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