画壇への支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 13:43 UTC 版)
友住は洋画界にも多大の貢献を果たした。黒田清輝の支援者として、京都で開催された第4回内国勧業博覧会(1895年)に出品された黒田滞欧時の代表作《朝妝》は、博覧会が閉幕するや否や300円で引き取り、黒田の京都滞在時に制作を依頼した《昔語り》も、須磨別邸の2階寝室に飾っていたが、両作品とも神戸大空襲で焼失してしまった。友住は、黒田清輝のみならず、京都の鹿子木孟郎が渡欧する際の費用を支給したほか、海外での作品の購入も任せていた。浅井忠が院長を務めた関西美術院に対しても、建設費などに1000円の援助を行った。
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