画壇デビューとは? わかりやすく解説

画壇デビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 01:48 UTC 版)

島成園」の記事における「画壇デビュー」の解説

15歳ごろから父や兄の仕事興味示し見よう見まねで絵を独習ほどなく大阪絵画春秋展」に小野小町描いた絵を出品。その一方で北野恒富野田九浦らにも私淑して日本画基礎を学ぶ。私的な友人としての彼らから指導助言受けた以外、正式に誰にも師事していない。いくつかの図案競技会作品出品したのち、1912年大正元年)[元号検証]の第12回巽画会展に「見真似」が、同年10月第6回文部省美術展覧会文展)では「宗右エ門町の夕」がそれぞれ入選弱冠20歳中央画壇へのデビューを果たす。東京京都中心とされていた当時日本画壇において、大阪からの年若い女性画家出現画期的なこととし迎えられ京都の上村松園、東京池田蕉園とともに三都三園」と並び称される。また各方面から多く制作依頼寄せられたほか、入門志望若い女性たちが多数自宅訪れた。翌1913年大正2年)にも「祭りよそおい」で文展入選し朝香宮允子内親王賀陽宮大妃殿下(具体的に誰を指すかは不明)といった皇族からも制作依頼寄せられたりした ほか、1915年大正4年)の第13回三越絵画展覧会では、作品横山大観竹内栖鳳北野恒富ら有名画家のそれとともに展示され、さらに同年第10回文展では「稽古のひま」が兄・御風の「のわらべ」とともに入選。高い社会的知名度を得る。

※この「画壇デビュー」の解説は、「島成園」の解説の一部です。
「画壇デビュー」を含む「島成園」の記事については、「島成園」の概要を参照ください。

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