芝温泉「恋の宿」
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「あぶさんの登場人物」の記事における「芝温泉「恋の宿」」の解説
新潟県・上越のとある山中の「芝温泉」にある小さな佇まいの旅館。「恋の宿」の名前の由来は、「離別前の『最後の旅行』として訪れたカップルが、不思議とよりを戻すようになった」という噂がきっかけとなっている。安武は旧友の伊達一から聞いてこの宿のことを知った。景浦一家・小林一家(小林一家は庄造の没後に来訪)が訪れたことがある他、安武らに誘われるように多くの野球人が訪れている。売りの一つに、駅の広告看板が外れているということがあるが、一時期、元通りにかかっていた。 小畑 庄造(おばた しょうぞう) 「恋の宿」の主人。1993年没。 安武の「恋の宿」来訪は1985年シーズン終了後が最初で、1986年シーズン終了後には初めて家族(サチ子と景虎、夏子)を連れて来訪(この時に徹と亜希の結婚を知る)するなど、南海時代から幾度となく主としてシーズンオフに来訪しては、「恋の宿」での時間を心身のオーバーホールに充てている。成人した景虎もここを訪れて同じように心身のリフレッシュに努めることがある。更に満も来たことがあり、大阪近鉄移籍を知ったのも「恋の宿」逗留中のこと。満の引退直前には両親を伴って訪れてもいる。但し、満は庄造の没後に初めて訪れているので、庄造とは面識がない。 1990年のオフに訪れた際には、庄造と「三冠王を取る」と約束。体調を崩していた庄造にとって安武の活躍は励みであり、彼の三冠王獲得は大変喜ばしいことであった。しかし1993年秋に危篤状態となり、病床で安武の3年連続三冠王獲得を願う。それ以前から自身の死期を予期しており、1992年オフには安武に「3年連続三冠王を取る」と約束させてもいる(その後、徹からも懇願された)。果たして安武は見事これを果たすが、これを見届けるように死去。試合終了後に「恋の宿」に直行した安武は彼の臨終に立ち会えなかった。 小畑 徹(おばた とおる) 庄造の息子。デザイナー志望で東京に出ていたが、さる賞を取ったあとは鳴かず飛ばずだったために帰ってきて、妻となった亜希や庄造と共に「恋の宿」をやっている。安武が初めて妻子を「恋の宿」に連れてきた時に亜希との結婚を安武らに明かし、安武を驚かせる。庄造の死後は亜希と共に「恋の宿」を受け継ぎ、安武も(後に父と同じ道を歩んだ景虎も)オフのオーバーホールと自主トレの際の常宿として毎年の様に訪れる。また、満や他の野球選手、更には監督らも「恋の宿」を単独で、あるいは安武と一緒に訪れることがあった。亜希との間に男の子が一人(圭ちゃんと呼ばれるが、正しい名前は不詳)ある。 一時、経営が苦しくなった「恋の宿」を畳むことも考えたことがあるが、景虎や石井姉妹によって持ち直すきっかけを得たのでその後も経営を続けている。 一度、父・庄造の死後、その筆跡を真似て安武を励ます手紙を書いたことがあるが、安武にはある文字の特別な書き方から見破られた。 小畑 亜希(おばた あき) 徹の妻。新潟出身。旧姓・石井(前述の石井亜希とは無関係)。外れていた(それが売りでもあった)「恋の宿」の看板を庄造が元通りにかけておくきっかけとなった女性。徹とは遠距離恋愛の末に結ばれた。独身時代に「恋の宿」を単身で利用したことがある。両親も若い頃に「恋の宿」を利用したことがあり、自分はその時に仕込まれたに違いない、と庄造に言い出す場面もあった。
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