船橋港・市川港の編入と開港
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「千葉港」の記事における「船橋港・市川港の編入と開港」の解説
日本カーフェリー株式会社が、市原 - 川崎間(千葉 - 神奈川間)に就航した。運輸省千葉港工事事務所、銚子気象台千葉測候所が設置され、その後、袖ヶ浦地先4,012,000平方メートルの埋立て工事に着手。富士石油株式会社、住友千葉化学株式会社、日本燐酸株式会社などが進出した。 1966年(昭和41年)10月1日には船橋・市川港が港湾運送事業法に基づく2種港に指定。港則法に基づく港域が拡張され、植物防疫法上の指定港となる。中央地区の埋立工事に着手し、6,080,000平方メートルを造成、内外貿ふ頭を中心に商港地区のほか、サイロ、製粉など食品コンビナート、流通団地、自動車団地、幸町住宅団地などが整備された。 1968年(昭和43年)6月1日、船橋・市川港が千葉港に編入された。港湾区域が拡張され市川市の一部、船橋市、習志野市、千葉市、市原市、袖ヶ浦町の一部の5市1町地先海面が港湾区域となる。 長浦農林干拓地(袖ケ浦市)が工業用地に転換、同年8月に京葉シーバースが竣工した。千葉中央ふ頭A岸壁が完成し供用を開始。1969年(昭和44年)3月には千葉西部地区に商住宅地(美浜区、海浜ニュータウン)を目途に7,190,000平方メートルの埋立て工事に着手。同年4月30日、県営出洲1号上屋が完成し供用を開始した。船橋地区公共外貿ふ頭を計画し、船橋中央A地区1,379,000平方メートルの埋立て工事に着手した。また、川崎製鉄沖合1,698,000平方メートルの埋立て工事を開始した。同年9月1日、船橋・市川港(港則法上の区域)が家畜伝染病予防法上の指定検疫物の輪入指定港となる。港湾区域が拡張され、袖ヶ浦町地先海面が港湾区域になった。千葉清港会が千葉港区の海面および港湾用地における清掃や船舶の廃油処理などの業務を行うため設置され、千葉港廃油処理場(敷地面積約7,600平方メートル)が市原市五井南海岸に完成し供用を開始。1970年(昭和45年)11月、千葉中央ふ頭に県営1号上屋(面積4,987.5平方メートル)が完成し供用を開始。家畜伝染病予防法に基づく指定港となる。 千葉中央ふ頭B、C岸壁が完成し供用を開始した。千葉市川崎町地先工場用地(中央区、川崎製鉄株式会社)第2期埋立て工事、京葉東地区埋立て工事を開始。塵芥焼却場(敷地面積4,670平方メートル、美浜区新港)、出洲ふ頭D・E岸壁が完成した。更に、千葉 - 徳島間(千葉県 - 徳島県)の定期航路オーシャンフェリーが就航した。 1972年(昭和47年)7月10日、船橋・市川港(港則法の区域)が政令第279号により関税法上の開港に指定された。船橋・市川港が植物防疫法に基づく指定港となる。1975年(昭和50年)8月21日、葛南清港会が葛南区域の海面および港湾用地における清掃の業務を行うため設置され、同年7月10日、港則法に基づく船橋・市川港の港域が千葉港に編入され葛南港区となる。港湾区域が拡張され、市川市(中部)地先海面が港湾区域となった。
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