脚本手直し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 01:50 UTC 版)
『からっ風野郎』の撮影のため、三島由紀夫は1960年(昭和35年)2月1日に大映多摩川撮影所に入り、増村保造監督やスタッフとの打合せや、記者会見が行なわれた。2月4日にはスチール撮影が行なわれ、1週間の準備期間の後の2月8日に映画本編の撮影がクランクインした。昼夜逆転の文筆生活と異なり、調布市の撮影所に向うため朝7時に起床し、夜10時に就寝というのが三島の基本生活となった。撮影期間中は禁酒もした。 劇作家でもある三島は、文学座や俳優座で何度も俳優たちの稽古に立ち会い、自身もちょっとした端役で舞台に立ち、文士劇にも何度も出たりしていたため、素人ながらも多少は演技の経験や自信もあった。しかし撮影に入ると、勝手が違う映画撮影で上手くいかない三島の演技は何度もテストが繰り返され、OKがなかなか出されず、初日から「三島さん、あんた、まるで猿のようだね!」と増村監督の檄が飛んだ。 私は何か病気なのではないか? カチンコが鳴つても一向ドキドキしないのである。これは何か心臓に欠陥があるのではないか? もつとも今のところは、演技なんてものではなく、監督さんが「頭をかけ」といふところで頭をかき、「ウィンクをしろ」といふところでウィンクをする人形にすぎない。人形といつてもあんまり可愛い人形ではないが。今自分が誘拐しようといふ子供にウィンクするところでは、内心困つた。私は昔からウィンクができないのである。ウィンクしようと思ふと、両目をつぶつてしまふのだ。これも何かの病気だらう。 — 三島由紀夫「出演の弁」 菊島隆三のオリジナル脚本では、主人公は石原裕次郎のようなタフな人物像であったが、増村監督はその役柄を不器用な三島の演技に合わせ、「二代目だけど、気が弱くて、腕力がなくて、組の存続も危ぶまれる、気がいい男」という性格に変えることにし、脚本を手直しすることになった。 シナリオではヤクザの二代目朝比奈は剛健で利発な男になつてゐたのだが、間のびしたぼくの仕草やセリフではどうしてもその味が出せないのだ。そこで困り抜いた監督はさつそくぼくを間が抜けて、ケンクヮも気も弱いヤクザに作り変へてしまつた。作り変へてはじめてなんとか見られるやうになつた。これなど監督の前では、完全にオブジェに過ぎないぼくだつたわけだ。 — 三島由紀夫「映画俳優オブジェ論」 芸術家肌で職人気質の増村監督は、一つの作品としての『からっ風野郎』を自分の納得できるものにしたかった。三島のキャラクターに合わせた脚本に作り変えたことは、結果的に映画としてそれなりに良いものが出来上がることになっていく。それは増村監督だからこそ出来た技であり、「限りなく無教養な男」という三島の希望に沿いつつ、作品と三島の素材を生かした選択であった。 撮影が進むにつれ三島は、「とにかく映画俳優というものは大変な商売で、単なる素材では、やり通せるものではない」ことが分かっていき、「演劇と映画の演出の違ひ」を実感として理解していった。撮影に入る前の三島は、「映画俳優は極度にオブジェである」として、俳優の演技は「いちばん行動から遠いもの」であり、意思を持たない完全な客体だと思っていたが、実際に映画俳優というものを体験してみると、そんな単純なものでもなかった。 しかしながら、主役の三島の素材に合わせて脚本が作り変えられたことなど、自分自身に限って言えば、増村監督の前では「完全にオブジェに過ぎないぼく」を味わった三島だった。 映画スターは単なるオブジェに過ぎないなどと広言してセット入りしたぼくだが、この考へは間違つてゐたやうでもあるし、間違つてゐなかつたやうでもある。間違つてゐたといふことからいへば、とにかく映画俳優といふものは大変な商売で、単なる素材では、やり通せるものではないといふことだ。共演した船越英二さんや若尾文子さんの演技を見てくれれば、それはわかるといふものだ。そしてぼくの場合に限つていへば、間違つてゐなかつたといふことの方が本当だし重要だ。(中略)ともかく今度の映画出演で、ぼくはぼくのもつてゐる性格とか気質の側面をはしたなくもさらけ出したことになつた。これはふだん私小説を軽視してゐるぼくが、とんでもないところで私小説的なものを露呈した格好になつたわけで、まづは苦笑といつたところだ。 — 三島由紀夫「映画俳優オブジェ論」 撮影は、調布市の多摩川大映撮影所のセットのほか、中野の宝仙寺(雲取大親分が招待した法事のシーン)、渋谷桜丘のリキパレス(力道山が経営)の横の産婦人科医院、多摩川京王遊園地などでロケが行われた。 撮影所やロケ現場には三島を激励するために、川端康成や岸田今日子、背広姿の市川雷蔵なども見学に来た。川端康成は予告篇の撮影にも参加した(実際には使用されず)。
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