脚本改定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 05:13 UTC 版)
「人生劇場 (1983年の映画)」の記事における「脚本改定」の解説
野上は「『青春篇』だけでは脚本は書けない」と抵抗し、深作から「『青春篇』だけも書ける」という自信ある肯定にあって、やむを得ず「青春篇」を素材に悪戦苦闘の末、シナリオをまとめたのに、後から東映が遺族を説得し「愛慾篇」「残侠篇」使用の了解を取ったことで、3ヵ月に渡る悪戦苦闘の総てが無意味となったため、脚本改定の参加を拒否、以降野上は一切製作に関わらなかった。しかし野上のシナリオは尊重し、野上の労作に「愛慾篇」「残侠篇」を取り入れる作業から始めた。基本的構成として「青春篇」の中で、現在では時代的にズレがあるエピソードを割愛しながら、青成瓢吉の人生という名の劇場への登場と青春ゆえの試行錯誤を縦糸にして「愛慾篇」「残侠篇」の登場人物、特にお袖とおとよの愛憎遍歴と飛車角と宮川の残侠の葛藤を散りばめようという方向が決定した。シナリオ改定の時間は二週間、深作は機嫌が悪く、佐藤と中島でなだめ、「青春篇」に「愛慾篇」「残侠篇」をそれぞれ監督を分担しオムニバス形式にしようという案が出て、深作は最初に希望していた「青春篇」ではなく「愛慾篇」に、佐藤がその「青春篇」、中島が「残侠篇」の担当になり、それぞれの脚本も自分で書くことになった。幸い「青春篇」「愛慾篇」「残侠篇」は、三本の川のように縦に流れ、その川を横に繋ぐように、時々に都合良く登場人物が重層的に絡み合い、三つに分割しやすく分担作業が非常にし易いことが判明した。三人がそれぞれの部分を書き、最終的にリズムとメロディの検討を三人で行うという方法でスタート。撮影もそれぞれの監督の下に独立した三つの撮影班が編成された。監督同士のみならず、基調のなる色を統一しないといけないため、撮影技師、照明技師などスタッフ間での打ち合わせも行われた。これでは作品としての統一性を欠くのではないかと懸念されたが「青春篇」「愛慾篇」「残侠篇」という三つの流れで「人生という名の劇場」を描き出すには、それぞれの流れに応じたトーンを用いて、変化を際立たせる方法を試みようという結論に達した。
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