美化された物語と実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 14:19 UTC 版)
「エリザベス朝」の記事における「美化された物語と実態」の解説
後のヴィクトリア時代や20世紀初頭には、エリザベス朝は理想として美化されて伝えられた。ブリタニカ百科事典には、今日でも「1558年から1603年までのエリザベス1世の長い治世は、イングランドの黄金期であった。人々は生活を楽しみ、音楽や文学、建築、船乗りの冒険にも『愉快なイングランド』が現れている」と記載されている。エリザベス朝を理想化する傾向は、イギリスや北アメリカに共通してみられる(例えば、エリザベス朝の船乗りを主人公にした映画など)。 一方、美化された歴史観の反動により、ヨーロッパ民主化後の歴史家や伝記作者はエリザベス朝について、物語風の脚色を無くして冷静に見る傾向がある。彼らによるとエリザベス朝のイングランドは、軍事面では特に成功はしていない。また、人口の90%を占める地方の労働者階級はそれまでの世代よりも貧困に苦しんだ。エリザベス朝で行われた奴隷貿易やアイルランド・カトリック弾圧(特にデスモンドの反乱や9年戦争)も、歴史家の注目を集める。イングランドはこの時代に絶頂に達したとはいえ、エリザベス1世の死後40年もたたないうちに、内戦に至るまで急落することになる。 すべてを考慮すると、エリザベス1世の統治はイングランドに長期間の(完璧ではないにせよ)平和をもたらし、繁栄を増したといえる。彼女は、過去の統治者から事実上の財政破綻状態を受け継いだが、倹約方針に従って財政を立て直した。緊縮財政によって1574年までには負債を解消し、その10年後には30万ポンドにおよぶ余剰金を蓄えた。経済面では、トーマス・グレシャムが為替取引所を設立した(1565年)。ここで、イングランドでは初の、またヨーロッパでもまだ少なかった株式交換が行われ、やがてイングランドはもとより世界の経済にも重要なものに発展した。エリザベス朝当時の税金は他のヨーロッパ諸国より低かった。経済は発展し、所得の配分は明らかに偏っていたものの、エリザベス朝が終わる頃には、初めに比べる明らかに多い富が蓄積されていた。このように概ね平和で繁栄していたため、この時期を「黄金期」とよぶ人達が強調する魅力的な発展が可能となった。 人道主義の観点でも、この時期のイングランドには良いところがあった。同時期のヨーロッパ大陸の社会とは違い、拷問がほとんどなかった。厳しい身体刑もあったが、イングランドの法律制度ではそのような拷問は、反逆罪のようにきわめて重大な犯罪にしか認めてられていなかった。魔女裁判も比較的まれだった。魔女として弾劾された事件もあったが、同時期のヨーロッパ社会で発生したような極端に熱狂的な動きにはならなかった。社会における女性の役割は、この時代にしては比較的自由だった。当時のイングランドを訪れたスペイン人やイタリア人たちは、母国と正反対に自由を享受する女性について必ず何かしら(あるときは詭弁的に)論評した。 それまでのテューダー朝の治世で、ヘンリー8世とエドワード6世はカトリックを弾圧し、メアリー1世はプロテスタントを弾圧するなど、宗教の弾圧が行われていた。しかしエリザベス1世は「心までは統治しない」と決めて宗教弾圧を弱め、これによってイングランドの社会をやわらげる効果を生んだようである。その一方で、エリザベス1世の統治は無神論者による「冷厳な独裁制」としても記述される。
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