縄文・弥生時代のブタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:22 UTC 版)
日本列島では縄文時代、主にシカやイノシシを対象とする狩猟が行われていた。縄文時代の遺跡から出土するイノシシ骨では飼養段階の家畜利用を示す家畜化現象の骨が出土していることが指摘され、日本列島における家畜化の可能性も考えられている。一方で、イノシシ飼養はいずれも限定的なもので疑問視する見解も見られる。 弥生時代には日本列島においても本格的な稲作農耕が開始される。中国大陸では農耕はブタやウマ、ウシなど家畜が伴うものであるのに対し、日本列島における弥生期の遺跡からは長らく家畜の痕跡が見られないことから、家畜利用を欠いた「欠畜農耕」であると理解されていた。 1988年-1989年には大分県大分市の下郡桑苗遺跡において弥生時代の完形のイノシシ類頭蓋骨3点とブタ頭蓋骨が出土し、さらに九州や本州の遺跡においてブタやニワトリの出土事例が相次いだ。 また、縄文時代の本州においてはシカとイノシシの出土比率がほぼ1:1であるのに対し、弥生時代には「イノシシ」の比率が増加し、また成獣よりも若獣が多く出土している傾向が指摘されていた。この弥生時代の「イノシシ」に関しては、西本豊弘が下郡桑苗遺跡出土のイノシシ類骨に骨の家畜化現象が認められることから、野生のイノシシではなく家畜としての「ブタ」であるとした。その後、弥生ブタの発見事例が相次ぎ、1999年時点で10箇所以上からの弥生遺跡において弥生ブタが確認されている。弥生時代の遺跡において「イノシシ」の出土比率が高く、中でも若獣が多い点は「イノシシ」の骨の中に家畜化されたブタが混在している可能性が指摘された。 弥生ブタに関しては縄文時代からイノシシが家畜化されてブタになったのではなく、中国大陸から家畜としてのブタが持ち込まれたとする説があり、1991年と1993年に西本豊弘により指摘された。これは、縄文時代に過渡的な段階のイノシシが見られず弥生時代に突如として家畜化されたブタが出現している点や、日本列島のイノシシの個体サイズが地域的に差があるが弥生ブタはこれとかけ離れたサイズである点などが理由とされる。 2000年には小澤智生が、中国産ブタとニホンイノシシは255塩基対のうち塩基座502により区別が可能であるとし、現生の中国と日本のイノシシ、ブタに関してミトコンドリアDNAの分析を行い、日本国内の弥生ブタとされる資料12点のうち11点がニホンイノシシと同タイプの塩基配列を持ち、弥生ブタはニホンイノシシそのものであるとした。 これに対して、2003年には石黒直隆らが、塩基座502によるイノシシとブタの区別自体に疑義を唱え、新たに255塩基対を含む574塩基対による系統解析を行い、10資料のうち6資料が現生イノシシと同じグループに、4資料は東アジア系家畜ブタと同じグループに含まれ、大陸から持ち込まれた家畜豚は九州・四国の西日本西部地域に限られている点を指摘した。
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