縄文 - 室町時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 縄文 - 室町時代の意味・解説 

縄文 - 室町時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:31 UTC 版)

上福岡市」の記事における「縄文 - 室町時代」の解説

市内最古石器は、市域北端舌状台地位置する川崎遺跡2万7千年前の旧石器時代後期ナイフ形石器発見されている。縄文時代早期末には、川崎遺跡竪穴住居跡長宮遺跡で、炉穴思われる遺構検出されている。 縄文時代前期関山期には、上福岡貝塚集落営まれた。この遺跡は、火工廠の建設伴って発見され山内清男関野克博士によって調査され学史上に知られるまた、長宮遺跡でも同時期の住居跡確認されている。やや遅れた黒浜期になると、川崎遺跡で、11m×7mの大形住居跡営まれたことが確認され県内で3例目であり、通常栃木県北陸などの遺跡知られるような集会施設ではないか考えられている。諸磯期になると、市内南西部の現さぎの小学校校庭に当たる場所から、遺跡16軒にのぼる竪穴住居跡数百基にのぼる土坑確認され土器のほかに耳飾りなどが出土している。 縄文時代中期前半にあたる勝坂期には、現西小学校北側で、西遺跡集落発掘調査され、縄文時代竪穴住居跡18軒と多く土坑集石遺構確認されている。西遺跡集落は同小学校西側にもひろがっていると推察される。また、縄文時代中期後半の加曾利E期には、市内北部ハケ遺跡環状集落営まれ遺構はないが、縄文時代後期土偶確認されている。縄文時代後期初頭称名寺期に川崎遺跡竪穴住居跡確認されている。後期半ばから晩期土器だけの出土事例見られる弥生時代空白地域であるが、その終末には、市内南東端にあたる伊佐島遺跡で、弥生時代終末期環濠集落確認されている。 古墳時代にはいると、埼玉県指定史跡になった権現山古墳群が築かれる新河岸川と滝地区を望む小高い場所に立地する当時有力者の墓と考えられている。権現山古墳群の営まれる前後には、古墳時代前期の滝遺跡集落営まれた。古墳時代後期集落は、川崎遺跡と滝遺跡営まれている。 飛鳥時代集落は、市内中央部標高8m - 10mの平坦地に、長宮遺跡松山遺跡集落営まれている。松山遺跡集落奈良時代をへて平安時代まで点々住居跡確認されている。松山遺跡川崎遺跡ハケ遺跡伊佐島遺跡では、掘立柱建物跡確認され、特に、川崎遺跡集中している。儀礼使用され緑釉陶器集落遺跡から出土した意味でも川崎遺跡当時重要な集落だったことが考えられる中世になると、長宮遺跡で、12世紀生産され渥美焼常滑焼破片出土見られるうになる。しかし、建物区画のための溝は、室町時代以降まで発見されていない市域南側駒林地区では、鎌倉 - 南北朝時代板碑を伴う集石墓が確認されている。戦国時代には、後北条氏家臣であった富永善左衛門の館が市域東端下福岡地区にあった考えられているが(城山遺跡)、13世紀から陶磁器などの遺物建物跡井戸跡確認されているが、直接、館の遺構といえるものは発見されていない1559年永禄2年)「北条氏所領役帳」に「福岡」「川崎」の地名記載される

※この「縄文 - 室町時代」の解説は、「上福岡市」の解説の一部です。
「縄文 - 室町時代」を含む「上福岡市」の記事については、「上福岡市」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「縄文 - 室町時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「縄文 - 室町時代」の関連用語

縄文 - 室町時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



縄文 - 室町時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの上福岡市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS