統廃合と保全
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:03 UTC 版)
農業や生活の近代化が起こると、堀(クリーク)の環境は一変する。明治中期の1890年頃から、水争い防止のため水利組合の設立が各地で活発化した。1920年代、電気灌漑や窒素肥料が導入されて省力化され、佐賀平野では米の1反(10a)当り収量が急伸し日本一となる(「佐賀段階」)。一段落の後、1960年代頃に化学肥料が本格的に普及し農業機械も普及、地下水位を稲の生育に悪影響が出ないレベルに下げるため堀の水位を下げ間断灌漑を行い、再び収量を伸ばした(「新佐賀段階」)。この頃から、農業の省力化により堀の泥土揚げが不要になり、上水道の普及で生活用水としての利用も遠ざかった。鉄道や道路などに代替されて水運の利用はなくなり、流通事情の変化と冷蔵庫の普及により漁労も行われなくなった。 また、化学肥料や家庭で普及した合成洗剤、産業排水も堀に流れ込んで水質が悪化、宅地化と下水道整備の遅れにより排水路と化したり、不法投棄によりごみ捨て場と化すものも出てくるなど荒廃、身近だった堀が生活から遠ざかる「クリーク離れ」が起きた。水害の原因ともなりうることから、堀(クリーク)を悪とする「クリーク征伐論」も一時出ていた。 実際、機械導入のため細かく区切られた水田を統合する圃場整備が戦後始まったことで、堀の統廃合が進み、多くは碁盤の目状の直線的な農業用水路で代替された。水源もアオ取水が廃止され、戦後建設された河川上流の取水堰(筑後川:筑後大堰-筑後導水路・佐賀導水路、嘉瀬川:川上頭首工など)に集約された。 こうして、古くからの堀の光景を留めている場所は数少なくなっている。一方、堀の価値を再考する動きも出てきた。自然や生物の宝庫であることから、一部を保全して公園などに改修したところもある。 しかし、「クリーク離れ」に伴い維持管理が放棄されると、年々進行していく堀の護岸(畦)崩壊や(泥土堆積に伴い)容積減少による洪水時の貯水機能低下が問題化した。これに対しては、防災対策の名目で県(佐賀県・福岡県)主体の「クリーク防災機能保全対策事業」や農林水産省管轄の国営「総合農地防災事業」(筑後川下流左岸農地防災事業、筑後川下流右岸農地防災事業)として公共工事で行われている現状である。
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