経済思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/13 05:32 UTC 版)
真葛は、貨幣経済が急速に浸透した当時の社会を「金銀を争う心の乱世」と表現した。真葛によれば、町人は日々物価をつり上げて商品の品質を下げることを考え、農民は年々年貢の削減を企図しており、武士は、この「心の乱世」では百姓からも町人からも攻撃を受けている。とりわけ町人の力は強大であり、藩財政は大商人からの借金によってまかなうよりほかない状況に陥っている。しかし武士たちは置かれた状況をおよそ自覚することなく、さほど強い危機感をいだいていない。真葛は、それを武家、とりわけ領主に近い立場から憤りをもって眺めていたのである。 真葛は、現状は武士・農民・町人がそれぞれの身分にもとづいて金銀をめぐって争う「大乱心の世」であると見なしており、その金銀は「敬い尊む人のもとに集まる」としている。金銀を「敬い尊む」のは「金を主とし、身を奴となして世を渡る」町人身分にほかならない。確かに、廻船に改良を加えた河村瑞軒の事績で知られるように、真葛は、町人たちが利を得るためにさかんに創意工夫を加えることのあることを認めないわけではない。しかし、瑞軒にしたところで人を陥れて事を有利に運んだこともあるとのことであるから、世の風潮、なかんずく町人の一般的な行動様式は「人を倒してわれ富まん」というものであろう。しかし、世界は「人よかれ、我もよかれ」と一同思えるような社会へと転換しなければならないと彼女は主張する。 このような利己主義にもとづいた経済至上主義は商品の品質低下も招いており、「正直」を旨とする日本古来の教えがすたれてしまっていると真葛は歎く。たとえば、紙の品質は目に見えて低落しており、使用に耐えなくなっているし、江戸幕府よりロシア使節アダム・ラクスマンに贈られた箱入りタバコは箱の上にだけ上等の葉が詰められ、その下に詰められていたのは品質のわるい葉だったという。使節は笑ってこれを捨てたとの評判だが、「人を倒してわれ富まん」の風潮は、ここに至って対外的な侮りを受けるほどとなっており、真葛は、これを日本の恥辱であると憂慮しているのである。そして、町人のみならず、このような事態を放置する為政者もわるいと批判している。 真葛は、皇室が近衛家を使って金融を営み、利子をきびしく取り立てて返済をせまり、人びとを苦しめているという風評を聞き、本来あるべき姿からかけ離れており、「けがらわしき事ならずや」と憤っている。また、先祖の事績に拠って立つのみで、貨幣がどのように流れ動いているのかをとらえようともせず、柔弱な生活を送って官位昇進だけを願う将軍にも批判を加えている。 「人よかれ、我もよかれ」と一同思えるような社会をめざした真葛は、アダムの父キリル・ラクスマンが政府の高官であると同時に建具やビードロの商売をしていると聞き、そうした政治家と商人を兼ねるようなあり方を提唱している。武士が「町人の虜」となっている状況を憂慮する彼女は、「金銀を争う世」において町人との闘争に勝つには、武士みずから積極的に商業にたずさわることが必要なのであり、武士が「君子にして商う」ならば、「一身の栄え」のみを願う町人と異なり、不当な利益をむさぼることもなく、また、貿易によって国富を増大させることさえ可能であり、「人よかれ、我もよかれ」の世に近づけるのではないかとして解決策を模索しているのである。
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