経済思想との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 14:34 UTC 版)
消極的自由を信奉する古典的自由主義は、個々人の利己主義がその意図せざる結果として社会公共の利益(最大多数の最大幸福)を達成すると説くアダム・スミス以来の見えざる手に信頼するものであった。 それに対し、社会公共の利益を達成する手段としては、利己心(見えざる手)のみに信頼することはできないとして、積極的自由を推奨する現代のリベラリズムが登場した。この立場では、見えざる手を補完するものとして、不完全雇用均衡を是正するためのケインズ政策などによる政府の意図的な介入が是認されることになる。 一方、現代のリベラリズムが、社会主義を起源とする福祉国家的施策を容認する社会民主主義的な弱者救済思想との親和性を高めるに至ったとして、これが結局個人の消極的自由を侵害することになると批判し、古典的な自由主義の立場を再主張する思想がリバタリアニズムである。この立場では、政府の意図的な干渉は、帰結主義的には最大多数の最大幸福を達するためにはかえって有害であり、自然権的には自明の理とされる私的所有権を侵害するものとして捉えられる。現在では、消極的自由を信奉する立場を指す用語として、古典的自由主義の系譜に属するリバタリアニズムという用語が使われるようになった。
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