紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図とは? わかりやすく解説

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紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図

主名称: 紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図
指定番号 1761
枝番 00
指定年月日 1977.06.11(昭和52.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 8幅
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  宝塔曼荼羅は、造塔写経、経解説の三功徳業を兼行するものとして制作され本図は、法華経八巻を八幅仕立てにし、一巻一幅にあて描いたのである法華経経文金字宝塔の形に表わし、その周囲経典大意描きめぐらすが、その経絵は中尊寺経はじめとする平安時代以来伝統的な金銀泥絵精緻な技巧伝える。制作時期はその描写様式金字書体よりみて鎌倉時代十三世前半頃と考えられるが、法華経絵の集大成してまた数少ない宝塔曼荼羅一本として珍重される。なお本図は、表装裏面貼付されている康安二年(一三六二)の修覆銘により法隆寺北室に伝来したことが知られる

紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図〈(開結共)/〉

主名称: 紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図〈(開結共)/〉
指定番号 1897
枝番 00
指定年月日 1990.06.19(平成2.06.19)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 10
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  法華経八巻開経無量義経)および結経観普賢経)の計十巻の経文を、一巻あたり一幅ずつ紺紙金泥九重宝塔形に書写し、その四周に、絵画化され経典内容金銀泥で描く。描かれ尊像人物像肉身部には金泥塗り目鼻などは墨線で描き起こし、口や仏菩薩白毫肉髻珠部分にはをさすなど、特徴的表現みられる
 文字塔周囲経典内容絵画化するいわゆる宝塔曼荼羅図作例では、本図のほか、岩手・大長寿院紺紙金銀泥金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図京都・立本寺の紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図(いずれも重要文化財)などが知られる談山神社本は、この二本比べ絵画化される場面数がきわめて多く、その配置充填的で、描いて場面間に区切りをつける処理もみられない尊像人物の肉身部を金泥でうめるなどの描法ともあわせ、これらの特徴は、高麗本とする説もある談山神社細字法華経見返絵などに通ずる点があり、大陸原本との関係において本図注目されるところである。
 ただし、樹木水波建物など個々描法は、平安時代多く制作され紺紙見返絵に共通するもので、その軽妙な描写筆致からみて、平安時代末期下らない時期制作とみられよう。
 平安時代に、法華経信仰高揚とともに多様な作品生み出した法華経絵の重要な遺品ひとつとして、また広く見返絵や説話画を考えるうえでも、本図価値高く、十巻を完存する点も貴重である。
 なお、裏に承応四年(一六五五)の寄進銘をもつ、本図収める箱の表には、「念誦崛紫寺【ねずきしがいじ】」の墨書がある。紫寺は、『和州多武峰寺増賀上人行業記』によれば多武峰中興の祖とされる増賀上人墓所として、文治三年一一八七)に多武峰創建された寺院である。
重要文化財のほかの用語一覧
絵画:  紫綾金泥両界曼荼羅図  紺紙金泥釈迦三尊十六羅漢像  紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図  紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図  紺絹金泥六字経曼荼羅図  絖本墨画山水図  絖本淡彩観音図



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