紙魚走る本番枝番孫番地
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評 言 |
シミ目シミ科。体長10㎜前後で細長く二本の尾角と一つの尾毛があり、銀白色の鱗と長い触角をもち(スーパー大辞林)、紙でも衣服でも澱粉のついたものは何でも食害し、陰気で逃げ足の滅法速い奴・・・と書けばまるで性質の悪い嫌われ人間の様だが、御当人(?)達は知る由もない。箪笥や本棚の奥で人知れずひたすらに、孤独な作業を毎日毎晩繰り返すこの生き物の生活痕こそが問題で、大切な本や衣服を台無しにされ、「一匹逃さず殺してくれよう」など激怒した経験は誰にでもある。 彼らの「加工」で台無しにされた古書や着物、しかし冷静にじっくり観察してみれば、幾つもの支流を伴う大河にも、或いは樹木の枝別れ、はたまた一家の大系図等にも見えて来るから不思議というもの。作者の機智はこれを「◯◯郡△村大字口字★13番」などと縮尺の小さな地図に見立てて興がっている。 句集『一九九九年九月』に所載の、これほどに目の付けどころのユニークなこの作者も実は反戦反核の人で、戦後間もない昭和24年刊の『荒天』には生死を彷徨う姿が浮彫りだ。 「夜盲兵鼻梁を月に向け眠る」「弾幕をくぐりし旗を垂らし病む」「流弾がぷすりと棉の花月夜」「秋の虹幾日洗はぬ顔ならべ」「壕を掘る秋夜の風に背を吹かれ」「咽喉かれて黄昏の雲を射ち終る」 掲句との間に半世紀以上の時間的隔たりがあり、事実見るベき、詠うべき対象が明らかに異なって見えるのは当然と言えるのだが、掲句の延長に「狙撃兵にうらおもて見え桐一葉」を見出した時には思わず戦慄を覚えたのだ。つまり、作者の内面に戦争は未だ生きており、「本番」「枝番」と縦横に繋がる塹壕の内外を、敵の銃弾から必死で逃げ延びようとする紙魚の、異様に白い姿を思い浮かばされたからである。 |
評 者 |
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備 考 |
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