紙本著色山中常盤絵
主名称: | 紙本著色山中常盤絵 |
指定番号: | 1895 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1990.06.19(平成2.06.19) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 12巻 |
時代区分: | 江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 古浄瑠璃【こじようるり】『山中常盤』の正本【しようほん】を詞書【ことばがき】とし、全段の内容を絵画化した絵巻。絵画化にあたり、詞を細分して多数の段を設けるとともに同一場面の反復も多用して、叙述の細部に至るまで逐一絵に表している。各場面の人物や景物はおおむね大きくかつ数多く描かれ、人物の表情や姿態は誇張され、衣裳や器物には細密な文様が施されて、卑近な現実感を強調する描写に成る。ことに常盤主従の受難(巻第四)や牛若丸の仇討ち(巻第九)のような残虐な場面の描写の鮮烈さは、物語絵の歴史に類例稀な本図の特色である。その一方で、常盤主従の道行き(巻第二・三)の場面などにおける自然や風俗の描写にも見るべきものがある。 細かく見れば一巻の中でも複数の筆者が識別でき、本図が共同制作に成ることは明らかだが、全体に共通する人物の特徴ある姿形、岩や樹木の描写、金銀泥【きんぎんでい】の霞引きの手法などは、岩佐又兵衛勝以【いわさまたべえかつもち】(一五七八-一六五〇)の作品にきわめて近い。また、本図は越前藩主松平忠直【まつだいらただなお】の子光吉【みつよし】が転封となった先の津山藩主松平家に伝来したものであり、一方、岩佐又兵衛は元和【げんな】二年(一六一六)ころから寛永十四年(一六三七)初めまで福井に滞在し、その間松平忠直の知遇を得た。したがって、本図の筆者として岩佐又兵衛とその工房を想定するのは妥当であろう。この工房は、「上瑠璃」「堀江物語」など、同じく古浄瑠璃に取材した絵巻を制作したと考えられるが、それらの実際の筆者が又兵衛の手法に通じた助手たちとみられるのに対し、本図の巻第一から巻第六までのうち画致特にすぐれた部分については、又兵衛自身が仕上げまで担当している可能性も否定できない。制作時期は又兵衛の福井在住期である元和寛永年間と推定される。 江戸時代初期の異色の絵巻として、また不明な点の多い岩佐又兵衛の画業を考える上でも注目される作品である。 |
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