第1波攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 20:51 UTC 版)
日本艦隊には第五航空艦隊所属の予備機の零戦20機が直掩として付随したが、九州近海で陸上基地に帰還した。天候は雨雲が1,000メートル程度、風速10メートル、視界は8キロ以下であった。大和の主砲を除いて光学照準式の高射指揮装置と時限信管式の対空砲しかない日本艦隊の防空砲火側には極めて不利であり、「攻撃隊にはもってこいの天候」とする意見がある。大和の艦橋にいた第二艦隊参謀長の森下も悪天候により対空砲火の効果と威力が低下したと回想している。反面、大和が煙幕を展開すれば簡易型のレーダーを装備(雷撃機と攻撃機の電信席に装備)していても空中衝突の危険が大きく攻撃不能の可能性があったとするアメリカ軍パイロットや、大和主砲方位盤射手村田大尉の意見など評価が分かれる。2時間かけて到着したアメリカ軍の攻撃隊は雲の上で日本艦隊の対空攻撃の射撃を受けずに、攻撃を行うために日本艦隊を取り囲むことができた反面、目標の進路や速度を目視において確認するためには一旦雲の下に下りなければならなかった。 第1波の攻撃隊は12時32分に攻撃を開始した。日本艦隊は速度を24ノット、続いて最大戦速として回避行動を開始し、対空戦闘を始める。この時の駆逐艦配置については、著作によって差異がある。しかし回避行動によって輪形陣はすぐに崩れてしまった。たとえば雷撃機を回避しようと大和が右に転舵したため、輪形陣先頭にいた矢矧は大和の左舷4000 - 5000mに引き離されている。 大和は近距離の敵機に対して24門の高角砲や約150門の機銃などの対空火器を装備していたが、日本軍生還者が「凄まじい」と表現するアメリカ軍機の雷撃・爆撃・銃撃の同時攻撃を阻止するには至らなかった。大和はこの海戦で主砲を1発も撃つことはなかったという回想もある。 まず、ベニントンの第82爆撃中隊11機が大和に攻撃を開始した。雷撃機は転覆を狙うため大和の左舷に攻撃を集中したとされるが、特に拘っておらず、機会があり次第、左右同時雷撃を行っている。12時45分、駆逐艦浜風が被弾して航行不能となった。12時46分、矢矧の右舷機関部にベニントン隊の放った魚雷が命中した。これにより機関部員は全滅し、矢矧は航行不能となった。第1波の攻撃で大和には爆弾2発と魚雷推定1本(森下2 - 3本、アメリカ軍主張8本)が命中した。左舷への傾斜は右舷への注水で回復したが、爆弾の命中により後部艦橋と後部副砲が破壊され、火災が発生した。また、この攻撃で12時48分に浜風が爆沈した。13時8分には涼月が前部に爆弾の直撃を受け大破、落伍した。さらに、機関の故障で艦隊から落伍していた朝霜も大和以下に対する空襲の開始直前にサンジャシントの飛行隊14機、もしくはバンカーヒルの飛行隊10機に攻撃された。魚雷2本が艦橋右舷下と機械室に命中、大爆発を起こして朝霜は沈没した。最後の電信は12時21分であった。アメリカ軍の攻撃隊は、朝霜をピケット艦と判断している。
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