第1期: コンゴ動乱とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第1期: コンゴ動乱の意味・解説 

第1期: コンゴ動乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:30 UTC 版)

ウ・タント」の記事における「第1期: コンゴ動乱」の解説

フルシチョフケネディ宛てた書簡の中で、タントについて好意的な言及何度かしていたことで、タント事務総長再任確実なものとなった1962年11月国連総会満場一致で、1966年11月3日までの任期タント事務総長代理から事務総長昇格させることを決議した個人的な理由から、タント最初就任から5年任期終えることを望んでおり、就任から最初5年間を1期とみなすことになったタントは、明白な平和主義者敬虔な仏教徒であったが、必要なときには武力行使躊躇しなかった。1962年コンゴ動乱において、モイーズ・チョンベ率いカタンガ分離派国連コンゴ活動(ONUC)を繰り返し攻撃した1962年12月ONUCカタンガ4日間にわたる持続的な攻撃受けた後、タントは「カタンガ全域でのONUCの完全な移動の自由を得るため」の「グランドスラム作戦英語版)」を命じた。この作戦により、分離派反乱は完全に終息した。1963年1月までには、分離派首都エリザベートヴィルは完全に国連管理下に置かれていた。タントコロンビア大学での演説で、1964年半ば国連コンゴ活動完了するとの期待表明したキューバ危機鎮静化など平和維持活動対す貢献により、ノルウェー国連大使1965年ノーベル平和賞受賞タント伝えたタントは、「事務総長が平和のために活動しているときは、ただ自分仕事をしているだけではないですか?」と謙虚に答えた。しかし、ノルウェー・ノーベル委員会のグンナー・ジャーン(英語版委員長タントへの授与強く反対し、土壇場ユニセフ授与することが決定された。他の委員は皆、タントに賞を授与することを望んでいた。翌年翌々年ジャーン反対によりタントへの平和賞授与見送られた。1950年ノーベル平和賞受賞したタント部下にあたる事務次官ラルフ・バンチは、ジャーン決定を「タント対す重大な不公平」と呼び憤慨した1963年12月24日キプロス共同体間の衝突勃発したトルコ系キプロス人は飛び地撤退し中央政府を完全にギリシャ系キプロス人支配下置いたイギリス指揮の下に設立され平和維持軍戦闘終止符を打つことができず、1964年1月ロンドン開催されキプロスに関する会議不一致終わった1964年3月4日敵対行為拡大する恐れがある中、安全保障理事会全会一致で、戦闘再発防止秩序回復目的とした3か月時限的国際連合キプロス平和維持軍(UNFICYP)の設立承認した安保理はさらに、キプロス問題平和的解決求め調停人を任命するよう事務総長要請したタントはガロ・プラザ(英語版)を調停人に任命したが、1965年3月トルコにより却下されたため、プラザ辞任し調停人の機能失効した1964年4月タントは自らを常設オブザーバー指定した聖座指名受け入れた。この決定には総会安保理関与していない。

※この「第1期: コンゴ動乱」の解説は、「ウ・タント」の解説の一部です。
「第1期: コンゴ動乱」を含む「ウ・タント」の記事については、「ウ・タント」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第1期: コンゴ動乱」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第1期: コンゴ動乱」の関連用語

第1期: コンゴ動乱のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第1期: コンゴ動乱のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのウ・タント (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS