第1期 ステュワート家とは? わかりやすく解説

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第1期 ステュワート家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:39 UTC 版)

レノックス公爵」の記事における「第1期 ステュワート家」の解説

最初にレノックス公爵叙せられたエズメ・ステュワート(1542-1583)は、第4代レノックス伯(英語版マシュー・ステュワート(1516-1571)の甥であり、したがってスコットランド女王メアリー王配ダーンリー卿ヘンリー・ステュワート(1545-1567)の従兄弟にあたる。彼はカトリックとしてプロテスタント摂政第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラス攻撃して1581年失脚処刑追いやり、スコットランド国政一時的に牛耳ったが、翌1582年にはプロテスタント貴族起こしたリヴェン拉致事件英語版)で失脚した。彼は失脚前の1580年3月5日レノックス伯爵(Earl of Lennox)とダーンリー=オウビニー=ダルキース卿(Lord Darnley, Aubigny and Dalkeith)、ついで1581年8月5日レノックス公爵(Duke of Lennox)、ダーンリー伯爵(Earl of Darnley)、オウビニー=ダルキース=トーボルトン=アバーダー卿(Lord Aubigny, Dalkeith, Torboltoun and Aberdou)に叙せられた。いずれも継承者男系男子に限るとの規定付けられスコットランド貴族爵位である。 その長男である2代レノックス公ルドヴィック・ステュワート(英語版)(1574-1624)は、スコットランドイングランド同君連合になる1603年またいでスコットランド海軍卿(在職1591-1624)、駐フランス大使(在職1604-1605、1613)、スコットランド議会国王代理官(英語版)(在職1607)、軍務伯代理(在職1614)、王室家政長官英語版)(在職1615-1624)などスコットランドイングランド官職歴任し1613年10月6日にはリッチモンド伯爵(Earl of Richmond)とヨーク州におけるセトリントンのセトリントン男爵(Baron Settrington, of Settrington in the County of York)、1623年5月17日にはリッチモンド公爵(Duke of Richmond)とニューカッスル=アポン=タイン伯(英語版)(Earl of Newcastle-upon-Tyne)に叙せられた。いずれもイングランド貴族爵位である。しかし彼は子供を残さなかったのでこれらの爵位は彼一代廃絶した初代公の次男である3代レノックス公エズメ・ステュワート英語版)(1579-1624)は、レノックス公襲爵前の1619年6月7日イングランド貴族爵位マーチ伯(Earl of March)とハンティンドン州におけるレイトン・ブロムスウォルドのレイトン・ブロムスウォルドのステュアート男爵 (Baron Stuart of Leighton Bromswold, of Leighton Bromswold in the County of Huntingdon)に叙せられていた。1624年2月の兄の死により3代レノックス公爵位を継承する同年7月死去している。 3代公と2代クリフトン女男爵英語版)キャサリン・クリフトン(英語版)の間の長男であるジェイムズ・ステュワート(1612-1655)が4代レノックス公爵位を継承した。彼は1637年8月21日に母からクリフトン男爵位も継承している(この爵位議会招集令状英語版)によるイングランド貴族爵位であるため、男子なき場合姉妹間に優劣のない女系継承が可能)。ピューリタン革命期に王党派として行動したため、1641年8月8日2期目リッチモンド公爵叙せられている。このイングランド貴族爵位自身男系男子の他、弟ジョージへの特別継承認めていた。 4代公の唯一の男子である5代レノックス公2代リッチモンド公エズメ・ステュワート(1649-1660)は、幼くして死去したこの際クリフトン男爵位は彼の妹メアリー・バトラー(1651-1668)に継承されそれ以外爵位4代公の弟ジョージの子チャールズ・ステュワート英語版)(1639-1672)に継承された(6代レノックス公3代リッチモンド公)。彼はレノックス公爵襲爵前の1645年12月10日イングランド貴族爵位リッチフィールド伯(英語版)(Earl of Lichfield)とバークシャー州におけるニューベリーニューベリーステュアート男爵(Baron Stuart of Newbury, of Newbury in the County of Berkshire)に叙せられていた。また1668年にはメアリー子供無く死去したため、第6代クリフトン男爵位も継承している。彼はその後スコットランド海軍卿(在職1672)などの官職務めたが、子供はなく、1672年12月12日彼の死去によってクリフトン男爵位を除く全保有爵位消滅したクリフトン男爵位は彼の妹キャサリン・オブライエンが継承した)。

※この「第1期 ステュワート家」の解説は、「レノックス公爵」の解説の一部です。
「第1期 ステュワート家」を含む「レノックス公爵」の記事については、「レノックス公爵」の概要を参照ください。

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