称賛とレガシー
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雪洲は生前にさまざまな栄誉を受けた。1923年5月には『ラ・バタイユ』の出演の功績をたたえて、フランス政府から芸術勲章オフィシアル・ド・アカデミーを贈られた。1958年にはニューヨーク市から名誉市民の鍵を贈られた。1960年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームで映画産業への貢献に対して星を獲得し、ハリウッドのバイン通り1645番地に雪洲の名前と映画カメラの型が刻まれた星型のプレートが敷き込まれている。日本では、1952年に日本映画功労賞を受賞し、1960年に紫綬褒章、1966年に勲四等旭日小綬章を授けられた。 1925年にモーリス・ラヴェルが発表したオペラ『子供と魔法』の第1部で登場人物のひとりの中国茶碗が歌う「ティータイムのフォックストロット」では、雪洲の名前が歌詞に使われている。1988年には日本で雪洲の生涯を題材にしたミュージカル『SESSUE 雪洲』が上演され、中村雅俊が雪洲を演じた。1990年代に映画監督の大島渚は、雪洲の生涯を題材にした伝記映画『ハリウッド・ゼン』の製作を計画し、雪洲役には坂本龍一を起用することを検討していたが、製作費を調達することができず頓挫した。 1997年、ロサンゼルスで雪洲の回顧展が開催され、雪洲の公私にわたる写真や撮影に使用した小道具などが展示された。2007年9月にもニューヨーク近代美術館で回顧展「Sessue Hayakawa: East and West, When the Twain Met」が開催され、16本のサイレント映画と2本のトーキーが上映された。2020年にはアメリカのアジア系アメリカ人の歴史に焦点を当てた公共放送サービス(PBS)のドキュメンタリー・シリーズ『Asian Americans』で雪洲の生涯が取り上げられた。雪洲の出演作品のうち『チート』『蛟龍を描く人』『戦場にかける橋』の3本は、アメリカ議会図書館によってアメリカ国立フィルム登録簿に「文化的・歴史的・芸術的に重要な映画」として保存されている。 雪洲の永続的なレガシーは、とくにアジア系アメリカ人コミュニティにとって大きなものである。しかし、アメリカ映画史研究において、雪洲はほとんど無視されてきた。2010年にメディア専門家のカーラ・レイ・フラーは、「アジア系アメリカ人として先例となる早川のハリウッドでのキャリアで注目すべきことは、彼が映画史やスターの研究で事実上無視されているということです。…さらに、早川が自身の映画会社を設立して経営したという稀なレベルの成功に達した事実は、ハリウッドの歴史の物語における早川に関する記述の省略をさらにひどいものにした」と主張している。宮尾も1996年に、数多いアメリカ映画史研究書に雪洲の名前はほとんど登場せず、雪洲だけに焦点を当てた研究書や論文は存在しないと指摘している。宮尾は2007年に雪洲の映画のキャリアに関する最初の主要な研究書『Sessue Hayakawa: Silent Cinema and Transnational Stardom』を刊行した。
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