称賛と遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:37 UTC 版)
アリスは生前にさまざまな称賛を受けた。1900年のパリ万国博覧会では映画の共同研究者を表する証書(Diplôme de collaboratrice)を受け、1904年のセントルイス万国博覧会、1905年のリエージュ万国博覧会、1906年のミラノ万国博覧会では金メダルを受けた。1955年には映画のパイオニアとしての功績を称えられて、フランスで最も高い非軍事的栄誉であるレジオンドヌール勲章を授与され、1957年にはシネマテーク・フランセーズからも表彰された。アリスの没後43年にあたる2011年には全米監督協会(DGA)のメンバーに迎え入れられ、同年のDGAオナーズで生涯功労賞を受賞した。2013年にはニュージャージー州の殿堂(英語版)入りをした。 ニュージャージー州のフォートリー映画委員会は、アリスを称え、彼女の業績をより多くの人々に認知させるためにさまざまな活動をしている。2011年にはガーデン・ステート映画祭でアリスに捧げたシンポジウムを開催し、アリスを全米監督協会のメンバーに入れるためのロビー活動をした。2012年7月1日のアリスの誕生日には、マリーレスト墓地にアリスの新しい墓石を作り、そこにはソラックス社のロゴマークと、彼女が映画のパイオニアであることを示す碑文を付けた。委員会はアリスの功績をたたえるためにアリス・ギイ=ブラシェ賞を設け、映画業界で重要な地位を確立し、映画製作の技術を進歩させた女性映画人に毎年授与している。この賞はニュージャージー州で最も権威のある映画賞のひとつとみなされている。 アリスに因んだ映画賞はフランスにも存在し、2018年にジャーナリストのヴェロニク・ル・ブリスがアリス・ギイ賞を設けた。この賞もアリスに敬意を表し、女性が監督したフランスの映画を対象にして毎年授与されている。また、パリ14区のブルッセ地区にある広場は、アリスに因んでアリス・ギイ=ブラシェ広場(フランス語版)と名付けられている。2021年にイェール大学は、アリスを記念して名付けたアリス・シネマという新しいスクリーンニングルームを設けた。 アリスが生涯に手がけた作品は1000本以上あるといわれているが、作品の大部分は散逸してしまったと長らく思われており、20世紀の間に現存が確認できた監督作品はわずか40本ほどしかなかった。また、当時のフィルムにはクレジットがなく、現存するフィルムが誰の作品かを特定するのは難しかった。アリスも生前に自分の映画のフィルムを探してみたが、それらの数本を著作権登録していたアメリカ議会図書館を始めどこにも見つけることができなかったという。アリス没後の世界的な調査研究や映画保存の取り組みにより、2009年時点で約130本の作品が世界各国のフィルム・アーカイブに保存されていることが確認され、2019年までにその数は約150本に増えた。2003年には『結婚の制限速度』がアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。アリスの作品は1970年代以降、世界各国で開催された女性映画祭などで上映されており、2009年から2010年にはニューヨークのホイットニー美術館で「Alice Guy Blaché: Cinema Pioneer」と題した前例のない大規模な回顧上映イベントが開催された。 アリスは、アルフレッド・ヒッチコックとセルゲイ・エイゼンシュテインの両方の映画監督のキャリアに影響を与えた。ヒッチコックは、ジョルジュ・メリエスやD・W・グリフィスの作品とともに、アリスの作品を見て感激したことを明かし、彼女に影響を受けたことを認めている。エイゼンシュテインは回想録『Yo. Memoirs by Sergei Eisenstein』の中で、子供の頃にアリスの作品だとは知らずに『フェミニズムの結果』を見たことを述べており、この作品から『十月(英語版)』(1928年)で男性と女性の皮肉な関係を描くためのインスピレーションを得たという。
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