称讃浄土仏摂受経
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『称讃浄土仏摂受経(しょうさんじょうどぶっしょうじゅきょう)』1巻 唐の玄奘(げんじょう)訳(650年訳出)。 『大正蔵』 第12巻 P348~P351。 鳩摩羅什訳「阿弥陀経」と比べて詳細な記述となっている。例をあげれば阿弥陀経では単に「有七寶池 八功德水」とある部分は、いちいち「七寶」や「八功德水」が何かを名を挙げて説明している。また、多くの諸仏が阿弥陀仏の説くことを信じるように薦める部分は、「阿弥陀経」は東・南・西・北・下・上の六方の世界の諸仏が登場するが、「称讃浄土仏摂受経」ではこれらに加えて東南・西南・西北・東北の世界の仏も登場し、合わせて十方世界となっている。ただし追加された世界に登場する仏は一人ずつである。 また「若諸有情 生彼土者 皆不退転 必不復堕 諸険悪趣 辺地下賎 蔑戻車中」という部分が追加されている。「もし諸々の生きるものがその国土に生まれたなら、皆が不退転となり、絶対に畜生・餓鬼・地獄道にも「辺地(「へんじ」と読み、極楽の存在に疑いを持つものが生まれるという完全ではない浄土。極楽浄土の外れにあるとされることからこの名がある。)」にも「下賎」にも「蔑戻車」の中にも堕ちることはない」ということであるが、「下賎」は下層カーストに由来し、「蔑戻車」とは「ムレーッチャ」(梵: mleccha)のことで古代インドにおける異民族の蔑称である。 これらの改変や差別的な思想は玄奘が勝手に変えたわけではなく、サンスクリット原典が時代が下るもともに変化したものと考えられる。すなわち玄奘がインドに到達した頃は、ヒンドゥー教を重要視したグプタ朝成立以降のヒンドゥー教の興隆に伴うインド仏教の衰退期で、ヒンドゥー的な考えが仏教教典に加えられていたと考えられる。なお「辺地下賎 蔑戻車中」の部分は「辺境に住む卑しい異民族」とする説もあるが、「蔑戻車」だけでも蔑称であるため、それに加えて更に「下賎」という形容詞を付けるのかどうかという疑問もある。しかし、称讃浄土仏摂受経の原テキストとなったサンスクリット原典が発見されていないため、どちらの訳が正しいのかは、そもそも異民族に対する差別的な思想はサンスクリット原典由来なのかという点も含めて不明である。
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