称良岑氏流前野氏系坪内氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 07:10 UTC 版)
前野氏は桓武天皇の子の安世を祖とする良岑氏を本姓としている。前野又五郎時氏が坪内氏と婚姻し、坪内又五郎忠勝を称したことに始まる。 系図上で冨樫藤左門頼定が坪内又五郎某の婿に入り坪内頼定を称すとあるが、坪内頼定が美濃国(実際は尾張国)松倉に来る以前に名乗っていたのはあくまで自主的なもので、尾張国に来て坪内氏を継いでから正式に坪内氏を名乗った。 坪内将監為定(坪内惣兵衛兼光)はこの前野氏より前野宗高を養子に取り、子孫は徳島蜂須賀藩重臣として仕えた。前野長康は実際は坪内勝定の長男坪内光景である。従来は前野氏の一族とされてきたが、武功夜話に依拠するものであり、前野長康以後は坪内氏や小坂氏との交流関係は皆無で完全な絶縁状態でもあり不自然で大いに疑問である。家紋は鷹の羽紋、巴紋、柏紋、州浜紋等を使用する。また川並衆という名称は武功夜話上のみでの語句であり、秀吉に協力した武士団の名称として使用された歴史的事実は無い。
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