称帝を勧めるとは? わかりやすく解説

称帝を勧める

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 07:22 UTC 版)

石虎」の記事における「称帝を勧める」の解説

10月石虎張敬張賓始めとした群臣100余りと共に石勒尊号帝位)を称するよう進言した。これに対して石勒は書を下し「我は徳が少ないながらも、偶然が重なり今の地位に至るのであり、周囲からの反発日夜恐れている。それなのに、どうして尊号称して四方の人から詰られる事など考えるか。かつて、周文(周の文王)は、天下3分の1占めながらも殷朝服属した。小白桓公)は周室を凌ぐ紀雄があったが、尊崇続けた。そしうして彼らは国家殷周よりも強国とした。我の徳は2伯に大きく劣るのだぞ。郷らは即座にこの議を止め二度と繰り返すことのないように。これより敢えて口にした者は、容赦無く刑に処する」と述べ申し出却下した11月石虎はまたも張敬張賓・左司馬支屈六・右司馬程遐文武百官29と共に「臣らが聞いたところによると、非常の度には必ず非常の功があり、非常の功があれば必ず非常の事が起きるといいます三代(夏・殷・周)が次第衰えると、五覇春秋五覇)が代わる代わる興り、難を静め時代救いました。まさに彼らは神聖にして英明であると言えましょう謹んで思いますに、殿下石勒)は生まれながらにして聖哲であり、天運に応じてあらゆる世界鞭撻し、皇業を補佐しました。そのため、全ての大地困苦から息を吹き返し嘉瑞や徴祥は日を追って継ぎ人望劉氏前趙)を超えたと言え明公に従う者は、10人いればその内9人となりました。こうして今、山川静まり、星に変事なく、四海次々と翻す様を見て天人思慕敬仰しております誠に中壇に昇り皇帝位に即いて、立身出世を図る者達にわずかばかりの潤を授けるべきなのです劉備が蜀に在し魏王曹操)が鄴に在し故事に依って河内・魏・汲・頓丘平原清河鉅鹿常山中山長楽楽平11郡と、趙国広平陽平章武勃海河間上党定襄范陽漁陽武邑燕国楽陵13郡を併合し合計24郡、29万戸以って新し趙国とする事を求めます。昔に倣って太守から内史改め禹貢倣って魏武冀州の境を復活させたように、南は盟津、西は龍門、東は黄河、北は塞垣を国境とすべきでしょう。そして、大単于100蛮を鎮撫するのです。また并州朔州司州3州廃して、部司を置いて監督させるのです。謹んで願いますに、上は天意添い、下は群望を汲み取らん事を」と上疏し、帝位即くよう勧めた石勒はこれを西面して5度断り南面し4度辞退したが、百官はみな叩頭し強く求めたため、遂にこの上疏を聞き入れた。但し、皇帝位には即かず、大単于趙王称した石虎単于元輔・都督禁衛諸軍事に任じられた。その後侍中移り開府許され中山公に進封された。

※この「称帝を勧める」の解説は、「石虎」の解説の一部です。
「称帝を勧める」を含む「石虎」の記事については、「石虎」の概要を参照ください。

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