称賛なきダービー馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:22 UTC 版)
「ロベルト (競走馬)」の記事における「称賛なきダービー馬」の解説
翌年、ロベルトの3歳シーズンは王道のイギリスクラシック路線へと進路を向け、その年の初戦としてヴォーホールトライアルステークスに出走、鞍上ビル・ウィリアムソンの指示のもとでこれに優勝した。続いてクラシックの第一冠であるイギリス2000ギニーに出走したが、よれた他馬が障害になったこともあり、勝ち馬ハイトップに半馬身差で2着に敗れた。この健闘は評価され、ロベルトおよびウィリアムソンはダービー制覇の有力候補としてその名が挙がるようになった。また前走勝ち馬のハイトップが出走しなかったこともあり、ロベルトは一躍最有力候補となった。 しかし、ダービー11日前の競走中にウィリアムソンは落馬し、軽い怪我を負った。幸いにも大したものではなく、医者も当日の騎乗に支障がないことを保障したが、陣営は万一の事態を危惧してウィリアムソンを降ろし、代わって名手レスター・ピゴットへと乗り替わらせた。この決定に、ダービー挑戦のチャンスを潰されたウィリアムソンに対して同情の声、ひいてはロベルト陣営への批判の声も挙がった。 当日の1番人気は当然ながら、単勝4倍のピゴット騎乗のロベルトであった。ロベルトとピゴットは中団につけて道中を進み、最後の直線に向き合ったところで先頭を行っていたペントランドファースを抜き去った。しかし同じく最後の直線で駆け出した単勝23倍のラインゴールドを置き去りにすることは叶わず、最後まで熾烈な叩きあいの末にゴール板を通過した。この決着は写真判定により、ロベルトが短頭差(アタマ差)で勝っていることが確定し、第193代のダービー馬の栄冠を手に入れた。 しかし前述の降板事件が影響してか、1番人気にもかかわらずロベルトの人気は悪く、優勝が確定しても観客席からは拍手のひとつも贈られなかった。ただし競走そのものは評価されており、レーシング・ポスト編集部と識者の選定したイギリス競馬史の名勝負100選集『100 Greatest Races』においては、この競走を第14位に選んでいる。
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