らいはい‐どう〔‐ダウ〕【礼拝堂】
れいはい‐どう〔‐ダウ〕【礼拝堂】
礼拝堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 00:35 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動礼拝堂(れいはいどう)は、主にキリスト教建築の用語であり
カトリックや正教会など聖人の概念をもつ教派では、礼拝堂は聖堂の捧げられた聖人等とは別に、聖人や何かの出来事を記憶し、その名で呼ばれるのが基本である。これに対し、プロテスタントでは大小や数で呼び分けることが多い。ただしカトリック等でも、慣習として、設置者の名前やその礼拝堂が付属している建物の名前で呼ばれることは珍しくない。たとえばシスティーナ礼拝堂は、発願者の教皇シクストゥス4世にちなんだ名で呼ばれている。
ユダヤ教における会堂(シナゴーグ)、イスラム教におけるモスク、仏教における仏堂のことである。仏教では「らいはいどう」と読む。
概要
礼拝堂のタイプとして主要なものを以下に挙げる。
- カトリックや正教会などの大聖堂では、大聖堂の内陣や側廊あるいは敷地内などに礼拝堂を設置することが一般に行われる[1]。
- ロシア正教会では、市門の脇には礼拝堂を置くことが慣習となり、これを「門の礼拝堂」と呼ぶ。モスクワの赤の広場のものは秀作であり広く知られている。
- 西方で元来は学僧の集団として始まった大学では、学寮ごとに礼拝堂をもつ慣習があった。著名なものにケンブリッジ大学キングズ・カレッジ礼拝堂がある。
- 宗教改革後には、大使館に礼拝堂が敷設されることが常態と化した。元来はプロテスタント圏駐在のカトリック圏国大使館ではじまった習慣である。
- 教区の聖堂などで、信者の便宜を諮り、聖堂本体と別に、礼拝堂を設けることがある。もっぱら平日に用いる[1]。
- 避暑地などで一時滞在者のための礼拝堂がおかれることがある。
副次的礼拝空間
聖堂内の副次的礼拝空間としての礼拝堂は、聖遺物信仰が盛んになった古代末期から中世初期にかけて都市部の大規模教会建築において発達した。ロマネスク様式の大聖堂では、祭壇後部や側廊に複数の礼拝堂を置いて回廊で繋ぎ、おのおのの礼拝堂に聖遺物を安置した。これには聖遺物崇敬の巡礼たちと、普段の礼拝に与る地元の信者共同体の動線を分離する機能があったと考えられている。カトリックでは、1960年代の第2バチカン公会議以前は司祭がひとつの祭壇において共同でミサを行うことができず、それぞれが一人ずつ祭壇でミサを執行することが必要であったため、大規模な教会や修道院においては、複数の祭壇を置く必要が生じ、ために複数の礼拝堂をもつ聖堂や修道院が多く建てられた。
教会外礼拝施設
礼拝堂は、公共施設、集会場、個人宅などにも置かれる。英米系の宣教師が伝えた教派では、このタイプの礼拝堂を指してとくに「チャペル」とも呼ぶ(チャペルは元来、礼拝堂一般を意味する英語である)。この意味での礼拝堂の設置及びミサの実施には、カトリックや正教会では教会の許可が必要である。
礼拝堂付きの司祭や牧師(チャプレン)が置かれることもある。とりわけ病院・軍隊・港湾設備や空港などの公共施設の礼拝堂では常駐することが多い。
中世以降、個人宅礼拝堂や市庁舎礼拝堂などは、貴族や市民たちの富を顕示する場となり、そのなかには美術史上著名な作例も多い。また、ヨーロッパなどでは、元来修道院などとして宗教目的で建てられた建物がホテルなどの世俗の用途に転用され、そのために礼拝堂が宗教的空間として残っている場合もある。
プロテスタントの礼拝空間
プロテスタントは宗教的事物に「聖」を冠することに慎重であり、自派の礼拝施設を「聖堂」と呼ばない。そのため、カトリックや東方教会では聖堂と呼ばれる「教会堂の主礼拝空間」を含む、教会内外の全ての礼拝空間を礼拝堂と呼ぶ。したがって、プロテスタントの教会堂(建物としての教会)を、「礼拝堂が容積の大半を占める建築」という意味で礼拝堂と呼んでも、ほぼ差し支えない。用語「聖堂」を用いないことにより結果的に教会内外の礼拝施設を区別する言葉を失ったため、教会外礼拝施設は礼拝堂であることには違いないが、これを単に「礼拝堂」ではなく特に「チャペル」と呼ぶ。
宗教的遺物の聖性を認めず(聖遺物崇敬の否定)、巡礼を宗教的行為ともみなさないため(「聖地」を認めないため単なる観光)、この目的で主礼拝堂の周囲に小礼拝堂を配する必要はないが、年齢層別・言語別などの異なる礼拝の同時進行、あるいは出席規模により使い分けるため、複数の礼拝空間を設けることはある。その場合は、主礼拝区間を「聖堂」と呼んで区別できないため、それぞれ第一礼拝堂、第二- 、あるいは大- 、小- などと区別する。
敷地内に複数の建屋をもつ教会では、礼拝空間の確保が目的の建屋のみが礼拝堂と呼ばれる。複数の礼拝堂建屋が存在する事もあるが、純然たる礼拝堂の他に多目的建造物の一部が小さな礼拝空間になっている場合、その礼拝空間は小礼拝堂と目されるが、多目的建屋そのものを礼拝堂と呼ぶことはない。
著名な礼拝堂
チャペルの項も参照。
- システィーナ礼拝堂(ローマ、バチカン宮殿内)
- スクロヴェーニ礼拝堂(パドヴァ、エレミターニ市立美術館内)
脚注
- ^ a b c カトリック教会では、教会構内で主たる聖堂とは別個に存在する礼拝空間は「小聖堂」と呼ばれることが多い。カトリック河原町教会 「都の聖母」小聖堂、カトリック仙台司教区 元寺小路教会など。
関連項目
礼拝堂
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「聖デイヴィッド大聖堂」の記事における「礼拝堂」の解説
内陣の東には、主教ヴォーンによる扇形ヴォールトのある聖三位一体礼拝堂 (Holy Trinity chapel) が隣接し、その祭壇および祭壇上の装飾は中世の断片により復元されたものである。また、ここに見られるオークの小箱(カスケット、casket)には、聖デイヴィッドと聖ユスティニアンの遺骨が納めらていると長らく信じられていた。 北翼廊 (North transept) 付近にある聖トマス・ベケットの礼拝堂 (St Thomas Becket's chapel) には、聖デイヴィッドを描いたステンドグラス(20世紀)がある。南翼廊 (South transept) には、カラスに食べ物を与えられたエリヤ(列王記第一17章6節)の17世紀のクレタ島のイコンがある。 大聖堂の東端の南側には、証聖者聖エドワードの礼拝堂 (Chapel of St Edward the Confessor) がある。ここに安置された墓(石棺)は、主教ジェンキンソン(John Banks Jenkinson、1825-1840年)の孫娘であるメイドストーン伯爵夫人のものである。ここからすぐ、1901 年に修復された聖母礼拝堂(英語版)に通じている。 聖三位一体礼拝堂 聖トマス・ベケット礼拝堂 証聖者聖エドワード礼拝堂 聖母礼拝堂(英語版)
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「礼拝堂」の例文・使い方・用例・文例
- 彼らは礼拝堂で朝のお祈りをする。
- この建物は非国教徒の礼拝堂として使われていた。
- 移住者たちは丸太で礼拝堂を建てた。
- その聖者の遺灰は礼拝堂の地下遺骨安置所に眠っている。
- システィナ礼拝堂は、1473年にバティカン宮殿内に建立された壮大な礼拝堂です。
- ミケランジェロがシスティナ礼拝堂の天井に人物画を描けるように、シェークスピアがセリフを書けるように、キーツが詩を書けるように、そうしたことのために無数の人々が生きて、苦しんで、死んだのはそれだけの価値があることのように思えたのだった。
- 王宮付属礼拝堂.
- 聖母マリアにささげられた礼拝堂.
- システィナ礼拝堂の「最後の審判」の絵に復元の手がはいった.
- 彼らは、システィナ礼拝堂の天井を改新した
- 聖別された礼拝堂
- 第二次世界大戦の死者にささげる礼拝堂
- 礼拝堂付き牧師の身分
- 礼拝堂で行われる礼拝
- ローマ法王の私的な礼拝堂
- 人または人々を賞賛するか、非難するために用いられる一種の小礼拝堂
- イタリア人の1471年から1484年までの教皇で、作品がスペインの異端審問の設立を承認し、システィナ礼拝堂を建てた(1414年−1484年)
- 学校などに付属するキリスト教礼拝堂
- 礼拝堂という施設
- システィナ礼拝堂という,バチカンにある礼拝堂
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