福岡県と日テレ系
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「ネットチェンジ#福岡県と山口県(関門2県)のケース」および「テレビ西日本#経緯」も参照 当初、福岡県の日テレ系列は八幡市(現・北九州市)に本社を置いていたテレビ西日本(TNC)であった。これは当時、TNCに日テレが資本参加していたことが主な理由としている。また当時のTNCは朝日新聞社も資本参加していたので、福岡市にある九州朝日放送(KBC、当時は日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)とフジテレビジョンの2つのキー局のクロスネット局だった)と合併させて福岡県全域をカバーする朝日系テレビ局を開局することを条件にTNCは関門地域、KBCは福岡地域を主対象として開局させた。 しかし、その後朝日新聞社はTNCから資本撤退した事でKBCとの合併は撤回、互いに相図ってサービスエリアの相互乗り入れをして両局は全県放送を開始したが、入れ替わる形で山口放送(KRY)が下関市に関門テレビ放送局を開局(当初はTNCのサービスエリアを考慮し、日テレ系の徳山=現・周南本局とは番組内容を代えて事実上はNETメインの独立局扱いとして開局)。さらに読売新聞西部版の創刊で、TNCとの資本関係が強い西日本新聞に重圧を与えることになる。 更にTNCとKBCが全県放送を開始したことにより、同じように毎日新聞資本でラジオ九州(福岡市)と西部毎日テレビジョン放送(小倉市=現・北九州市)の統合で誕生したRKB毎日放送側が反発。その事から毎日側がUHFによる新テレビ局を開局させる計画につながって、読売側も資本参画する動きまで出る事態となった。そのため、TNCと西日本新聞はこのまま日テレ系で続ける事が難しいとしてスポンサーからの反対を押し切って1964年(昭和39年)10月にフジ系列への1本化を強行し、またKBCもフジ系列とのクロスネットを捨てNET系に1本化。日テレ系フルネットのテレビ局が福岡県から一旦消滅することとなった。それとほぼ同時に、山口放送も事実上NETメインだった関門局も徳山本局と同じ日テレからのネット番組放送に1本化。1966年のNNN発足後はFBSが開局するまで、山口放送は事実上福岡県東部での日テレ系列を補完する役割を持っていた。なお、日テレ系列の一部の番組は番販の形で福岡県西部向けにRKBなどがネット受けしていた。報道については、九州地区でフルネット局がないままNNNが立ち上った関係で、日本テレビが福岡に九州分室を設置して取材を担当していた。 4年後の1969年(昭和44年)4月1日、福岡初のUHFテレビ局となるFBSが開局。TNCのネットチェンジから4年半、読売新聞と日本テレビにとって待望のフルネット局が誕生したが、上記の経緯から最初は福岡と久留米だけの開局であり、北九州局の開局は、KRY関門局とのエリア調整に時間を要し5か月遅れで開局した(ちなみに、その後開局したTXN九州(現・TVQ九州放送)は、山口県側の系列局を考慮しなくてよいため、北九州局も福岡・久留米と同時に開局している)。
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