磁器生産の開始とは? わかりやすく解説

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磁器生産の開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 09:18 UTC 版)

有田焼」の記事における「磁器生産の開始」の解説

肥前磁器の焼造は17世紀初期1610年代から始まった豊臣秀吉朝鮮出兵の際、有田を含む肥前領主であった鍋島直茂同行してきた陶工たちの一人李参平は、1616年元和2年)(1604年説あり)に有田東部泉山白磁鉱を発見し近くの上白川天狗谷窯を開き日本初白磁焼いたとされ、有田焼の祖である。李参平日本名を「金ヶ江三兵衛(かながえさんべえ)」と称し有田町龍泉寺過去帳などにも記載されている実在の人物である。有田町では李参平を「陶祖」として尊重し祭神とする陶山神社(すえやまじんじゃ)もある。 有田小山囲まれ盆地にあり、この泉山白磁鉱はもともとは茶褐色火山性流紋岩で、それが近く英山はなぶさやま)の噴火をされて、長い時間をかけて温泉効果白色替わり、「変質流紋岩火砕岩」と呼ばれている。この岩石盆地流れ混む小川水車応用して細かく砕き陶土磁器用土)として、また坂を利用して登り窯作りやすかったという。 近年学術調査進展によって、有田東部天狗谷窯の開窯よりも早い1610年代前半から、西部天神窯、小溝窯などで磁器製造始まっていたことが明かになっているこの頃有田では当時日本輸入されていた、中国景徳鎮磁器作風影響受けた染付磁器初期伊万里)を作っていた。「染付」は中国の「青花」と同義で、白地藍色1色で図柄表した磁器である。磁器生地コバルト系の絵具である「呉須」(焼成後は藍色発色する)で図柄描きその後釉薬掛けて焼造する。当時有田では窯の中で生地重ねる目積み道具として朝鮮半島と同じ砂を用いており、胎土用い中国とは明らかに手法が違うことから焼成技術朝鮮系のものとされる一方で17世紀朝鮮ではもっぱら白磁製造され染付色絵技法発達していなかったため、図柄中国製品に学んだ考えられ絵具呉須中国人から入手したものと考えられている。 1637年寛永14年)に鍋島藩は、伊万里・有田地区の窯場統合整理敢行し、多く陶工廃業させて、窯場有田13箇所限定した。こうして有田皿山形成された。この頃までの有田焼美術史陶芸史ではしばし初期伊万里称する陶石精製する技術漉)が未発達だったことから、鉄分粒子表面黒茶シミとなって現れていること、素焼き行わないまま釉薬掛けをして焼成するため柔らかな釉調であること、形態的には6寸から7寸程度大皿多く、皿径と高台径の比がほぼ3対1の、いわゆる三分の一高台が多いことが特徴である。

※この「磁器生産の開始」の解説は、「有田焼」の解説の一部です。
「磁器生産の開始」を含む「有田焼」の記事については、「有田焼」の概要を参照ください。

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