研究と利用の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 14:32 UTC 版)
イギリスの医者、植物学者、顕微鏡学者ネヘミヤ・グルー(en:Nehemiah Grew)は1684年に指と手のひらの溝構造に関する最初の論文を発表した。1685年にはオランダの解剖学者ゴバルト・ビドロー(en:Govert Bidloo)とイタリアの医者マルチェロ・マルピーギは溝構造の解剖学的特徴に関する本を出版した。1788年にドイツの解剖学者ヨハン・マイヤーは指紋が個人の識別に有用だと指摘した。 1823年にプリスロー大学の解剖学者ヤン・プルキニェは9種の指紋のパターンについて議論したが、個人の識別には言及しなかった。1853年にドイツのゲオルク・フォン・マイスナー(de:Georg Meissner)は指紋と摩擦の関係について研究した。1880年に天文学者ジョン・ハーシェルの息子ウィリアム・ジェームス・ハーシェル(William James Herschel)はインド総督府に在籍中に世界で初めて指紋の採取を行った。 イギリス人のヘンリー・フォールズ(Henry Faulds)は、1880年にイギリスの科学雑誌ネイチャーに、指紋に関する研究論文を発表した。フォールズは宣教師として1874年に来日し、現在の東京都中央区築地に居を構え、キリスト教の布教を行うと共に健康社(現在の聖路加国際病院)という医院を開設し医療活動に従事した医師でもあった。彼は日本人が拇印を利用して個人の同一性確認を行っている事に興味を持った。 また1877年にモース博士により発見された大森貝塚から出土した数千年前の土器に付着した古代人の指紋が現代人のものと変わらない事に感銘を受け、指紋の研究を始めたといわれている。フォールズの研究は日本滞在中に行われ、発表も日本からイギリスへ論文を発送して行われている。このためフォールズの居住地跡には彼の業績を記念して「指紋研究発祥之地」の記念碑が建てられている。 1892年にフランシス・ゴルトンは指紋の分析と識別に関する詳細な統計モデルを公表し、著書『フィンガープリント』で法科学に使用するよう提唱した。ゴルトンの指紋研究を学んだアルゼンチンの警察官ファン・ブセティッチ(en:Juan Vucetich)は初めて犯罪捜査に指紋を利用した。彼はフランシス・ロハス(en:Francisca Rojas)が犯行現場の血痕の中に残した指紋が彼女の物以外ではあり得ないと示し、ロハスは殺人で有罪となった。 1897年にインドで初めて指紋を扱う部局が設置され、指紋が犯罪記録の管理に用いられた。1901年にはこの制度がスコットランドヤードにも持ち込まれ、イングランドとウェールズで指紋を用いた犯罪捜査が始まった。 1908年、日本の監獄局は、全国の監獄に、満期接近の受刑者の指紋を徴取するよう指示した。 1912年、警視庁が指紋採取を行うこととなり、司法省から18万枚の指紋原紙を引き継いだ。1951年7月16日時点で、国家地方警察本部鑑識課が保有する指紋原紙は500万枚を超える数になっていた。 ウィリアム・ジェームス・ハーシェル ヘンリー・フォールズ フランシス・ゴルトン
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