真理探究の方法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 09:01 UTC 版)
彼は、体操場への行き帰りの青年たちをつかまえては、対話(duologue、これから後年、対話的な議論の中でダイナミックに思想の歩みが展開していく仕方を弁証法、dialecticと呼ぶことになる)による哲学的な思考の教育を行った。我々が、ごく自明のものと考えている「正義」「道徳的な正しさ」などその言葉の使用に際して、我々が理解していることの内実をよくよく問いただされてみると、我々が意外に生半可に理解しただけでその言葉を使用していることに気づかされる、そしてそこから、その言葉は本当はどんな意味で理解されるものなのか、そしてそれが我々に要請する道徳的な行為とは何かということに思いを至らしめることになる。 エレンコス(反駁のための反対尋問)は、ソクラテス式問答法の中心となる技法である。プラトンの初期の対話篇では、エレンコスは、例えば正義や美徳といった倫理的概念の性質や定義を調べるための、ソクラテスが使う技法である。ある一般的な定式化 (Vlastos, 1983) によると、次のような段階を踏む。 ソクラテスの対話者がある命題を提示する。例えば、「勇気は魂の持続である」など。それをソクラテスは偽であると仮定し反駁を試みる。 ソクラテスは対話者にさらなる前提(例えば、「勇気はよいものだ」、「無知の持続はよくないものだ」)を持ち出し、同意させる。 ソクラテスは議論を展開し、さらなる前提が本来の命題とは反対のこと(この例では「勇気は魂の持続ではない」)を暗示していることを対話者に納得させる。 そしてソクラテスは、対話者の命題が偽で、その反対が真であることを示したと主張する。 1つの問答によって、対象とする概念に新たな、より洗練された検討を加えることができる。この例の場合「勇気とは魂の賢明な持続である」という主張が導かれる。ソクラテス的問答の多くは一連の反駁であり、アポリア(議論中の命題について何も言えない状態)で終わることが多い。 マイケル・フレード(Michael Frede)は、上記の4番目のステップは、そこまでのアポリア的性質からして無意味であると主張している。ある主張が真とされるなら、対話がアポリアに陥るはずがない。 エレンコスの正確な性質は多くの議論の対象であり、特にそれが認識を導くポジティブな方法なのか、それとも間違った認識を反駁するためだけのネガティブな方法なのかは大きな議論の的である。 ソクラテス式問答法は仮説を排除する「ネガティブ」な方法であり、よりよい仮説は矛盾をもたらす部分を排除することで着実に識別することができる。ソクラテス式問答法はある人の意見を形成する一般的かつ共通的な真理の探究であり、その真理を精査の対象とし、他の信念との一貫性を判定する。基本形式は、論理と事実を検証すべく形成された一連の疑問文であり、或る人(たち)が何らかの主題についての自分(たち)の信念を見出し、定義やロゴスを探求し、様々な特定の実体で共有される一般的特徴を求める助けとなる。この方法は、対話者の持つ信念に内包されていた定義を明らかにしたり、さらなる理解の助けとなることから、産婆術 (method of maieutics) とも呼ばれた。アリストテレスはこの定義と帰納の方法の発見者をソクラテスだとし、科学的方法の基本と見なした。しかし、奇妙なことにアリストテレスはこの方法が倫理学には不適であると主張した。 W・K・C・ガスリーの『ギリシアの哲学者たち』によれば[要ページ番号]、ソクラテス式問答法は問題の答えや知識を求める方法ではなく、むしろ無知を示すことを意図していた。ソクラテスは他の詭弁家とは異なり、知は可能であると信じていたが、まず第一に無知であることを知る必要があると信じていた。ガスリーは次のように書いている。「(ソクラテスは)自分は何も知らないとよく言っていた。そして、彼が他の人々よりも賢いのは自分の無知を意識していたからだとした。ソクラテス式問答法の本質は、対話者が何かを知っていると思っていることを実は知らないと自覚させることにある」
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