白道に関する資料とは? わかりやすく解説

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白道に関する資料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 07:51 UTC 版)

木食白道」の記事における「白道に関する資料」の解説

白道事跡に関する資料には『萩原木食繁昌古日記)』、『七福神の由来』『聖観世音本堂鎮守金比羅本社拝殿建立』神社建立勧進際した勧進帳自筆史料では『天満宮縁起』廻国修行納経帳である『日本回国納経牒』『木食白導一代記』がある。ほか、白道仏背銘の墨書銘からも断片的に白道事跡復元されている。 『萩原木食繁昌古日記)』 紙本墨書寸法は縦13.8センチメートル、横35.5センチメートル安永天明年間中心とした記録のうち安永10年1781年)の部分で、白道故郷甲斐へ帰郷した際の様子記されている。白道生年甲州市伝存白道仏の年代などが推定された。通称は『古日記』。原本1975年時点塩山市赤尾個人所蔵で、2008年の「木食白道-知られざるもう一人木食-」展では出展されているが、所在は未記入山梨県立博物館収蔵(旧山梨県立図書館所蔵)の「若尾資料」に写本含まれる1975年の「先年」に郷土史家飯田文彌により発見される甲州市(旧塩山市指定文化財。『塩山市史料第2巻 近世所載『七福神の由来』 木版白道自筆白道天明の大飢饉に際して七福神彫り人々配布したといわれ、それに関する史料曽根原(1975)に収録『聖観世音本堂鎮守金比羅本社拝殿建立』 紙本墨書寸法は縦27.6センチメートル、横19.5センチメートル2008年時点甲斐市個人所蔵寛政6年1794年)。江戸日暮里青雲寺本堂金比羅本社拝殿建立際した勧進帳白道青雲寺住職弟子となり、江戸市中多摩地方勧進行っており、その際のもの。曽根原(1975)に収録『天満宮縁起』 紙本墨書白道自筆。縦27.5センチメートル、横18.0センチメートル2008年時点甲斐市個人所蔵享和3年1803年12月白道生誕地萩原天満宮建立志した内容記され自身半生記している。曽根原(1975)に所載『日本回国納経牒』 廻国修行納経帳。2008年時点甲斐市個人所蔵紙本墨書寸法は縦24センチメートル、横17センチメートル曽根原(1975)で一部紹介『木食白導一代記』 白道自身事跡記した記録2008年時点甲府市個人所蔵巻子本寸法は縦31.0センチメートル、横1074.9センチメートル。全25紙。廻国修行はじめた幼少期から各地での巡礼修行中の霊験造仏について記されている。『山梨県立博物館 研究紀要 第3集』で全文翻刻されているほか、現代語訳掲載その他の史料 山梨県甲州市上原白道生家には負箱が伝来する木造寸歩は縦33.0センチメートル、横37,4センチメートル上原生家茶碗とともに伝存し、現在は白道の作の子観音像存在する上原地蔵堂安置される裏の墨書から寛政12年1800年)のもので、信濃国光前寺の運八・孫作施主となり白道贈ったのであるとされる

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「白道に関する資料」を含む「木食白道」の記事については、「木食白道」の概要を参照ください。

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