登用関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 17:24 UTC 版)
国試(こくし) 中央官吏登用試験。1年かけて複数の試験を受け、合格すれば家柄に関係なく官吏になれ、孫の代まで安泰といわれる。上位3名には状元、榜眼、探花という称号が与えられる。選抜結果には王も介入できない。 本編の数十年前、紫戩華が導入し、以来彩七家は金銭を惜しまず人材教育に力を入れて来た。殿試まで辿り着く者の多くが彩七家関係者。凌晏樹によれば国試により彩七家の介入を抑える狙いもあったという。 李絳攸らの前の数年は王位争いの余波で行われなかった。紅秀麗達の前の年も紫戩華の喪に服すという名目で(実際には紫劉輝が職務を放棄していた為)会試が中止になっている。秀麗達の年は年齢制限がなく、史上最年少13歳の状元が誕生した。 作中頻出する国試制度の大部分は、実際に前近代中国で行われていた科挙を元とする。現実の科挙と違い、高額な受験料がかかる。郷試(ごうし) 国試の試験の一つ。郷試を元にしている。 州試(しゅうし) 国試の試験の一つで、会試を受けるための選抜試験。各州で行われ、その州に在住する者が受験する。州試の中では紫州州試が受験者が最多かつ最難関。 明らかになっている受験者は次の通り。紫州:鄭悠舜(首席)、劉子美(次席)、藍州:藍龍蓮(首席)、紅州:紅黎深(首席)、黄州:黄鳳珠(首席)、景柚梨、碧州:碧珀明(首席)、白州:姜文仲(首席)、管飛翔(最下位)、黒州:来俊臣(首席)、杜影月(首席)。 会試(かいし) 国試の試験の一つで、実質的な最終試験。期間は7日。受験資格のある者は挙子、挙人と呼ばれる。不正防止の為、受験の際は特定の服装に着替え、個室内で受験する。これに受かれば及第したも同然と言われている。会試を元にしている。 殿試(でんし) 国試の最終試験。会試及第者全員が一堂に集められ、朝廷上層部と面接を行う。殿試で落ちることは余りないが、黄奇人の受けた年は彼のあまりの美しさに皆が見とれ、まともな答えを王に返せず、多くのものがボロボロおちていった。唐の時代の省試または宋の時代の殿試を元にしている。 適性試験(てきせいしけん) 紅秀麗が受験した年にあった特例措置。女人受験の議案成立から次の会試までの期間が短かった為に設けられた。合格すれば郷試や州試を飛ばして挙人になれる。その分、難易度が高くなるとはいえ、進士の中で女人官吏への当たりがきつくなる一因になっていた。後に陸清雅が李絳攸への攻撃材料に利用した。 制試(せいし) 国試みたいに難関ではなく及第すれば中央官吏になれる正式な試験。王や尚書令の決定によって不定期に行われる。受験には大官や大貴族の推薦状が必要。一発及第で中央官吏になれる分、正規の国試より難しい。官吏になっても国試派からの風当たりが強く、結局殆どが退官する。制科を元にしている。 国武試(こくぶし) 国の武官登用試験。武科挙を元にしている。 準試(じゅんし) 州ごとに行われる地方官吏登用試験。合格すればその州の官吏になれ、他州への異動はほぼない。州尹までは昇格できる。 吏部試(りぶし) 国試及第者に対し吏部が執り行う試験。容姿、発音、言葉遣い、筆跡の良し悪し、挙措などを加味して、配属先を決定する。曲名当てもたまに出題される。教養面での要求が高い為、庶民や地方出身者の国試及第者はこれを通れず、冗官になるか帰郷することが多い。唐代の吏部試を元にしている。 国試上位及第者に配属に迷う人材が固まった場合は、その上位20名は吏部試ではなく、各部署での2ヶ月の研修の様子から判断される。悪夢の国試組、絳攸と楸瑛、秀麗達の年にこの例外措置が取られた。 資蔭制(しいんせい) 家格や父祖の功績で、子孫が無条件で朝廷の職官が与えられる制度。ほとんどが貴族。以前は国試合格者に押されていたが、本編での比率は半々。現在は親の七光りで入れるほど甘くはない。恩蔭制を元にしている。
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