発表当時を含むその背景と概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:32 UTC 版)
「FM TOWNS」の記事における「発表当時を含むその背景と概要」の解説
FM TOWNSが発売されると、モトローラの68000シリーズの搭載を期待していた旧来の8ビット時代のFMユーザや、先にシャープから発売されていた、同じくマルチメディア指向と目されるX68000のユーザを中心として賛否両論が沸き起こった。 現代から技術的に評価すれば、後にIA-32と呼ばれ長く主流の座にあったアーキテクチャの始祖である80386を存分に活用することを前提としているなど、それなりに思い切ったコンセプトではあったのだが、それまでの8086やMS-DOSのネガティブイメージを持ち出すなど、その類の業界メディアによって賛否の両方が煽られていたというのが、その実態という所ではあろう。 また、本体同時発売のゲーム「アフターバーナー」において潜在的なポテンシャルの高さを誇示したものの、プログラムの完成度の低さが特に初期には目立った。 キーボードが別売であった CD-ROMの読み出し速度 スプライトの表示性能 初代機のメインメモリ/VRAMのウェイトの多さ テキスト専用のVRAMを持たない F-BASIC386の使い勝手が悪い などが当時の主な指摘点である。 後年の『Oh!FM TOWNS』の記事によると、CD-ROMや80386が採用されたのはアスキーの西和彦の影響があったということである。 その出航ではいろいろと物議を醸し、発売当初の専用ソフトウェアラインアップもあまり冴えない状況であったが、時間とともに優秀なソフトウェアやサードパーティーからの支援に恵まれるようになる。また、ソフトウェアコンテストを旺文社と共同で実施し、そのために本体と開発環境など一式を学校法人向けに無償で提供したほか、フリーソフトウェアをユーザから集めてCD-ROMで実費配布する試みなどの営業施策が功を奏し、若年層やクリエイターを中心に根強いユーザを掴むに至った。 なお、逸話として、FM TOWNSには当時大人気だったイースシリーズのゲームソフトウェアが一作も発売されていない。当時、日本メーカーから発売されていたパソコン及び据え置き型コンシューマー機にはもれなく移植されていたタイトルであったが、なぜかFM TOWNSには、最後まで遂に移植・発売されることはなかった。 宣伝や展開は富士通の総力を結集するような大規模なもので、南野陽子、宮沢りえ、観月ありさら当時のトップアイドルを起用してのCMの連打、年2回全国での一斉イベント開催のイベントなどが行われた。特に東京地区においては、東京ドームを貸し切って「電脳遊園地」の題名で複数回イベントが行われた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}国内では前例が少ないオリジナルCD-ROMマルチメディアタイトルを揃えるため、各ソフトメーカーには機材援助、買い取り本数保証などの支援が惜しまれなかった。[要出典]
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