発表当時の政治的背景と作品解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 15:04 UTC 版)
「国王イシュトヴァーン」の記事における「発表当時の政治的背景と作品解釈」の解説
『ジーザス・クライスト・スーパースター』と『国王イシュトヴァーン』に共通しているのは「正義」と「悪」の対立ではない。2つの正しい者同士が対立するという悲劇を扱っている。イスカリオテのユダとイエス・キリスト、コッパーニュとイシュトヴァーン、1956年ハンガリー動乱のナジ・イムレ首相とカーダール・ヤーノシュ。どちらも正しい。歴史の流れの中で正しい者同士が殺しあわなければならないという悲劇である。コッパーニュやナジ・イムレは民衆・民族・伝統の立場に立つ。これは倫理的に正しい。しかしその道は民族を破滅に導いてしまう。その時代状況においてはすべての道はローマ(ないしモスクワ)に通じていたからである。イシュトヴァーン-カーダール・ヤーノシュは民衆・民族の生命を守るために、自らの敵であるドイツ騎士団とソ連軍の助けを請い、自民族を虐殺しなければならなくなる。しかしそうすることにより民族は救われる。 民族派となったナジ・イムレ首相を鎮圧し、処刑したカーダール・ヤーノシュは本作発表時、まだ権力の座にあったが、当時のハンガリーはこのような問題作を製作し、公開することが可能だった。 しかし、イシュトヴァーンのキャラクター像が、思慮深さを持ちながらも、自分の使命を果たす人物として描かれている点は、同じく支配体制にとっての「使命」を果たしたカーダールを暗に擁護しているとも解釈できる。イシュトヴァーンの敵対者コッパーニュも誇り高く、正直な人物として描かれている反面、「時代遅れ」で国にとって何が最も必要なのかを理解していない人物という設定である。このような寓話的解釈によれば、劇中のハンガリーとローマ教皇との関係は、本作発表時のハンガリーとソビエト連邦との関係の比喩であり、ドイツの騎士やキリスト教の司祭達は、ハンガリーに駐留するソビエト軍の比喩であると捉えることができる。 これは先に述べたように2つの正義の衝突・葛藤であるのだが、公開当時の一般の受け止め方は正義のコッパーニュと裏切り者のイシュトヴァーンというものだった。この見方に関してはブローディ自身は「表面的だ」として不満を感じていたと述べている。 一方本作を、国や宗教に対する公然の反逆という大胆な主題を演劇界の主流に持ち込んだ、(教会も含めた双方の権力側から見て)反動的な作品と見なすことも可能である。特に、ハンガリーの周辺諸国のハンガリー系住民の間では、本作はハンガリーに対する帰属意識、愛国心を表現した作品と見なされており、それは劇中演奏される最後の曲の歌詞の最終行「美しきハンガリー、我らの麗しき故郷」(“Szép Magyarország, édes hazánk.” )という一節で、明白に表されていると考えられている。最後のシーンでは会場を囲む三色旗の色の幕が映し出され多くの鑑賞者は涙することになった。それはハンガリーは枢軸国に属していたため、周辺諸国の反発を考慮してハンガリーでは三色旗をおおっぴらに礼賛することが憚られていたためであった。かようにこの作品は体制派にも反体制派にも自由主義者にも民族主義者にも、それぞれが自分にとって都合が良い解釈ができる多義性を持っていた。そのことがこの作品が国民的な成功を収めることになった原因だと思われる。
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