町制施行以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 08:36 UTC 版)
ウィキソースには松元町に関連する総理府告示があります。上伊集院村を松元村に名称変更する件 松元村を松元町とする件 1960年(昭和35年)4月1日に上伊集院村を松元村に改称し、同時に町制施行し松元町となった。上伊集院村から松元村に名称変更の上、町制施行しているが、「上伊集院」から「松元」への名称変更の理由として次の理由が挙げられている。 県の合併計画で新しく成立している町村は、上・下・西・東などの複雑な名称を避け簡略な名称とする傾向があること 「上伊集院村」という名称は、隣接する伊集院町(旧・中伊集院村)と混同され不便であり、住民からの強い意見、要望があったこと 町の表玄関である薩摩松元駅の駅名を名称とすること 薩摩松元駅は村民の奉仕により設置された請願駅であり、住民が愛着の念を持っていること また、町制施行に伴い村内にある上伊集院を称する学校は「上伊集院小学校」が「松元小学校」に、「上伊集院中学校」は「松元中学校」にそれぞれ改称した。 1983年(昭和58年)には大字福山に鹿児島県立松陽高等学校が開校した。松元町唯一となる高等学校である。それに伴い最寄り駅となる上伊集院駅の駅舎が改築された。 1945年(昭和20年)の国勢調査以降、人口が減少傾向にあったが、小規模団地の造成が進んだことなどを要因として1988年(昭和63年)12月28日に松元町の人口が1万人を突破した。 平成に入ると上伊集院駅周辺や石谷及び春山の幹線道路沿線を中心に住宅団地やニュータウン(ガーデンヒルズ松陽台など)が建設され、1998年(平成10年)には南九州西回り自動車道(鹿児島道路)が伊集院ICから鹿児島西ICまでの区間が開通し、それに伴い松元IC及び松元本線料金所の供用が開始された。これにより鹿児島市のベッドタウンとして交通環境及び住宅環境の整備が一層進むこととなった。 2000年に行われた国勢調査において松元町は1995年の国勢調査時点からの人口増加率が9.3パーセント増加となり、鹿児島県内の市町村では人口増加率が最も高くなった。 2004年(平成16年)11月1日に鹿児島郡桜島町、吉田町、日置郡郡山町、揖宿郡喜入町と共に鹿児島市に編入され、自治体としては消滅した。鹿児島市編入前の2004年9月の人口は12,698人であった。 鹿児島市編入後、松元町の区域の全域が鹿児島市の「松元地域」となっており、松元町役場は鹿児島市役所松元支所として使用されている。
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