特殊な「身替り」とは? わかりやすく解説

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特殊な「身替り」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/28 09:15 UTC 版)

大塔宮曦鎧」の記事における「特殊な「身替り」」の解説

人形浄瑠璃歌舞伎には「身替り」というものがよく出てくるが、この「身替り」についてごく大まかにまとめると、以下のようになる主人主君)とそれに仕え家来家臣)がいる(主従関係)。 その主人敵対する者がいて、その敵対する者から主人(または主人家族)が命を狙われ絶体絶命となる。 そこでその家来が、主人またはその家族身替りとするため、自らや自分妻子など偽って敵対する者の側に引き渡す。大抵その身替り引き渡す時には、すでに首を討たれて首だけとなっている。 もっとも身替り中には一谷嫩軍記』の熊谷直実のように、主従の関係にはないが自分仕え主人源義経)の意向によりわが子を身替りとする例、また『義経千本桜』のいがみの権太のように、親にとって大恩のある人の息子だから、自分妻子身替りにするといった例もある。しかしおおむね「身替り」とは、 主従関係、またはそれに準じた関係において行われること というのが普通である。だが『大塔宮曦鎧』の三段目語られる身替り」は、これには当てはまらない特殊なものである。 斎藤太郎左衛門は、孫力若の命でもって助けた若宮とは主従の関係にあったわけではないそれどころ後醍醐天皇鎌倉六波羅から見れば戦の首謀者であり、若宮はその皇子である。太郎左衛門にとっては自分仕え六波羅敵対する人物身内であって、本来ならその命を助け義理いわれもないはずであった。 これについて『難波土産』(元文3年1738年〉刊)では、次のように解説している。 「…斎藤始終武士道立てぬきたる所あきらか也。我は六波羅被官ゆへ、我が身においては少しも天皇への荷擔なく、頼員力若は天皇たのまれし義を立てさせ、始終天皇の御ためにいのちを果たし、しかも力若が最期によって、頼員が無駄死に忠死となる。是斎藤一心より編み立て武道、尤さも有るべし…」 つまり、力若の親の土岐蔵人頼員は天皇の側に味方する心でありながら、その意を果たせずに自害してしまった。そこでそのせがれの力若にその遺志遂げさせよう若宮身替りにしたということである。若宮助けたことで太郎左衛門六波羅裏切ったように見えるが、これはあくまでも天皇の側についた頼員の子力若の身替りによる忠義であり、「我が身においては少しも天皇への荷擔なく」ということになる。自身武士としての誇りあるように、武士である婿の頼員にもせめてこうした形で「無駄死にではなく武士としての名誉を守らせたいという心であった。だが結局は祖父が孫を殺したことに、「堪へ堪へ斎藤泣きかゝっては止めどなく。天に仰ぎ地にまろび涙。千筋縄簾乱れ叫びて」歎くのである。 しかし一方永井右馬頭心情にも複雑なものがあった。 右馬頭太郎左衛門と同様、六波羅仕え武士であり、わが子鶴千代若宮身替り立てようとするのは、普通に考えれば右馬頭はすでに天皇側に心を寄せ六波羅裏切るつもりだったように見える。ところが右馬頭鶴千代身替りにすると決めた時、花園次のような話をしている。 (花園)「…人は情といひながら、宮様相伝主君でもなし。咎もない我が子殺さずとも、まちっと思案あるまいか」 (右馬頭)「この瀬戸際思案どころか。尤も若宮にさせる由緒はなけれども、我は顔する斎藤めに、人違へさせ不覚取らせねば、武士武士との義もなく勇みなし。弓馬の家生れし身は一旦の誉れより、畢竟締めくくり後ろ指さされては、一代の手柄も水の泡…」 右馬頭は「尤も若宮にさせる由緒はなけれども」と言う。つまり本来なら、若宮にはわが子をその身替りとして死なすほどの義理はないというのである。だが太郎左衛門に「不覚取らせねば、武士武士との義もなく勇みなし」ともいう。要する右馬頭は、若宮含めた天皇側に味方してわが子を身替りにするのではなくこのまま若宮を殺させては武士としての面目にかかわる事がある述べているのである右馬頭は範貞の命令により、若宮とその母三位の局の身柄預かった今度はこれも範貞の命令で、若宮身柄を引き渡さなければならない右馬頭は「役目」として若宮預かっていただけであり、若宮殺されるとしてもその引き渡しに否という筋合いは無い。若宮引き渡し拒むことは主命にそむく事であり、それこそ武士武士との義もなく勇みなし」ということになる。それでもわが子を身替りにしてまで若宮救おうとしたのはなぜなのか。 そもそも若宮討たれることになったのは、太郎左衛門が範貞の前で燈籠浴衣意匠について悪し様に説明したからであった。だが局を預けていた右馬頭は、この燈籠浴衣込められていた意味について知っていたのか、知らなかったのか、いずれにしても身柄預けておきながら「監督不行届き」で範貞を激怒させた。これは右馬頭の「落ち度」であり、この「落ち度」によって若宮を引き渡さなければならなくなったのである。すると右馬頭は、人から次のようなレッテルを貼られることになる。 「永井右馬頭、あいつは与えられ役目全うできず、それでその役目取り上げられる駄目なやつだ」 主命により預かっている者であれば、いずれ引き渡さねばならぬにしてもこのようなレッテルを貼られた上で引き渡すことになるのは、武士として大変な不名誉であり侮辱である。右馬頭は、父である帝を偲ぶ若宮様子心を痛め、またその所望により自ら踊って見せるなど、若宮親しみ感じてはいた。しかし本心から六波羅裏切ろうというつもりはなかったのを、このような辱めを人から受けるくらいなら、その命を救ったほうがよいと判断したのである。そしてこんなことになったのも燈籠浴衣について悪し様に言った太郎左衛門のせいだ、この上太郎左衛門偽首持ち帰らせる落ち度」にさせなければ腹がおさまらぬと考えてのことでもあった。 太郎左衛門永井右馬頭の「身替り」は、いずれも主従の関係」によらず、「身替り」に至るいきさつ上で述べた普通の「身替り」には当てはまらないものであった太郎左衛門心から天皇の側に寝返ったわけではなく、孫の力若を身替りにしたのは婿や娘といった血筋の縁に引かれてのことであり、自分あくまでも六波羅武士であるという姿勢崩せなかった。永井右馬頭若宮心を寄せる部分はあったにせよ、まず先に立ったのは武士としての面目であり、それが傷つけられることに堪えられず、六波羅裏切ってわが子を身替りとし、そのあと自らは切腹しようとしたのである。これらのような主従敵味方という建前なしに行われる身替り」は、数ある義太夫浄瑠璃歌舞伎における「身替り」の中でも珍しい特殊なものである。『難波土産』は本作三段目について、「近松形見」すなわち近松執筆であろうと言い、「さればこそ趣向より文句にすこしの抜け目なく、踊りの中の愁ひなんど、まはらぬ筆には及びもなき事どもなるべし」と評している。

※この「特殊な「身替り」」の解説は、「大塔宮曦鎧」の解説の一部です。
「特殊な「身替り」」を含む「大塔宮曦鎧」の記事については、「大塔宮曦鎧」の概要を参照ください。

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