江戸川乱歩の功績
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日本において探偵という職業を大衆に認知させ、探偵小説・推理小説の知名度を上げたうちの一人に、江戸川乱歩がいる。江戸川乱歩は大正・昭和期、推理小説の黎明期において明智小五郎や少年探偵団が活躍する一連のシリーズで名を挙げ、現在も江戸川乱歩賞にその名を残している。1947年、江戸川乱歩が探偵作家クラブを設立した(このクラブは現在日本推理作家協会という形で残っている)。氷川瓏は、ポプラ社の乱歩作品の少年少女向けリライトや、涙香や海外作品など乱歩名義の翻案を手がけた。
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江戸川乱歩の功績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 13:28 UTC 版)
『新青年』が戦時中から探偵小説色が薄れ、戦後の復刊後も現代小説や風俗小説も扱っていたのに対し、江戸川乱歩はこれを探偵雑誌に戻そうとするが果たせず、そこへ『宝石』創刊の話が持ち上がって、これに大きく協力した。 1957年2月に経営悪化が日本探偵作家クラブで問題となり、てこ入れ策として8月号から乱歩が編集長となる。この頃は赤字経営で原稿料不払いも恒常化している状況で、乱歩は私財数百万円を注ぎ込んで立て直しを図った(立て替え分は後に宝石社より返済された)。新連載として横溝正史『悪魔の手毬唄』、坂口安吾『復員殺人事件』(「樹のごときもの歩く」に改題)の復刻と未完部分の高木彬光による執筆など、各作品に乱歩によるルーブリック(序説)を付すようにし、発行部数は5割増し、1年ほどで赤字解消にこぎ着けた。また乱歩の編集方針に、推理作家以外の一般作家にも探偵小説を書いてもらうというものがあり、執筆作家には火野葦平、有馬頼義、曾野綾子、梅崎春生、三浦朱門、遠藤周作、吉行淳之介、石原慎太郎、谷川俊太郎、寺山修司、中村真一郎などがいた。1958年9月号からは、徳川夢声による、かつて『新青年』での「くらがり三十年」に続く自伝的回顧「あこがれ始末書」を連載、1963年までの長期連載となった。 表紙に「江戸川乱歩編集」と記されたのは1962年まで続いたが、入院などにより1959年末からは実質的な編集は後任に譲り、編集後記を書いていたのは1960年10月号までとなる。その後はまた経営は悪化し、1964年5月に「創刊250号記念特集号」(251号)をもって廃刊。 宝石社は累積赤字により倒産。版権は光文社により1500万円で買い取られた。
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