永遠の未完作とは? わかりやすく解説

永遠の未完作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 08:24 UTC 版)

冬の日 (小説)」の記事における「永遠の未完作」の解説

1927年昭和2年4月の『青空26号に発表され後篇末尾には、「未完」と記されており、基次郎この続きを書くつもりであった同年2月の『青空24号に前篇発表し終えた時点構想では、後篇陰鬱な冬から、やがての咲く春の気配主人公訪れ終りであったが、実際はますます暗い心象のままの冬の結末となった一昨日冬の日続き十九書いて東京へ送りました。暗いものです。その暗さ負けてたうとう完結まで筆を伸すことは出来ませんでした冬の日割合自信のある作品です、(室生犀星褒めてくれました。)四月号が出た一度あなたのお言葉がききたいと思ひます。 — 梶井基次郎近藤直人宛て書簡」(昭和2年3月17日付) 後篇草稿2月中から書き始められ3月4、5日頃から15日までに『青空』に載せる原稿として19ほどを書き終わるが、作品としての完成には至らなかった。 あれが終れなかつたのは残念だつた。然しどうしても仕方なかつた。出来此度のは少しがまざつてゐるやうに思ふ。まあこんなことはいゝ。君の賢明な批判をまつ、実際それまで自分でなんとも云へない。一生懸命の作だつただけ。 — 梶井基次郎淀野隆三宛て書簡」(昭和2年3月17日付) 基次郎後篇発表した後も、その続き書こう思いつつ書けば暗いものにならざるをえないことを自覚し、〈あの続きは最も憂鬱なるもので書く元気がまだ出ない〉と淀野隆三告げていたが、その後には、その暗さ肯定的に捉え続篇への意欲見せてもいた。 一年経つても依然希望新しくならない変転の多かるべき二十七歳頃の身体病気とは云ひながらなにもせず湯ヶ島埋めてしまつたのはわれながら甲斐なく思ふ 心生じた徴候生きるよりも寧ろ死へ突入しようとする傾向だ(しかしこれは現実的にといふよりも観念的であるから現実的な心配はいらない) 僕の観念は愛を拒否しはじめ社会共存から脱しようとし、日光より闇を嬉ばうとしてゐる。僕は此頃になつて「冬の日」の完結書けるやうになつたことを感じてゐる 然しこんなことは人性本然反した矛盾で、対症療法的で、ある特殊な心の状態にしか価値持たぬことだ 然し僕はそういつた思考続け作を書くこと続け決心をしてゐる。 — 梶井基次郎北川冬彦宛て書簡」(昭和2年12月14日付) なお草稿には、完成稿では登場しなかった医師・津が堯の下宿訪ねる場面があり、津との会話で、〈死んだ延子が堯と一緒に東京にゐるやうに思へてならない〉という母の心情を知った堯が、はっとして陰鬱になるくだりがある。その挿話は堯の死を暗示させるようなものとなっているため、基次郎自身の死を描くところまで考えていたと見られている。 丸山薫によると、基次郎が『冬の日』の結末について、「堯の死ぬところはどうしても書けない書けば自分も死ぬやうな気がする」という言葉三好達治語った後に、郷里大阪帰っていったという。

※この「永遠の未完作」の解説は、「冬の日 (小説)」の解説の一部です。
「永遠の未完作」を含む「冬の日 (小説)」の記事については、「冬の日 (小説)」の概要を参照ください。

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