毛皮貿易と経済人類学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 15:18 UTC 版)
経済史学者や人類学者は初期北アメリカでの毛皮貿易業者の重要な役割を研究したが、先住民族の経済態様を表現する理論的枠組みで理論の一致を見ていない。 ジョン・C・フィリップスとJ・W・スマーは、毛皮貿易とヨーロッパ列強の権力闘争とを結びつけ、毛皮貿易は覇権の拡大と支配権の維持手段として役立ったと指摘している。個々人の経験は捨ておいて、その「高度に政治的かつ経済的重要さ」を露呈した世界的な舞台における関係を求めた。E・E・リッチは経済の視野を貿易会社やその雇員の役割に焦点をあてるレベルにして、彼等が大陸を開拓する国や州の役割の代わりにカナダの領土の大半を「開拓」したと指摘している。 リッチの他の著作では、この分野を支配しているか、あるいは混乱させていると考えるようになる者もいる形式主義者と実在主義者の論争の核心に触れている。ハロルド・イニスのような歴史家達は、特にカナダの歴史では以前から形式主義者の立場を採り、新古典派経済学の原則が西洋の社会に影響したまさにそのように西洋とは違う社会にも影響したと考えている。しかし、1950年代以降、カール・ポラニーのような実在主義者はこの考え方に異議を唱え、伝統的な西洋市場の貿易に変わるもの、すなわち、贈与交易と管理交易として原始社会が関わることができたと主張している。リッチはある影響力ある記事でこの議論を取り上げ、インディアンは「ヨーロッパ人の概念あるいはヨーロッパ人が接触してくることの基本価値の受容を一貫して躊躇した」とし、「イギリスの経済ルールはインディアンの交易には適用されなかった」と主張した。インディアンは経験豊富な交易者だったが、基本的に資産について異なった考え方を持っており、そのことがそのヨーロッパ人交易相手を混乱させた。エイブラハム・ロートスタインはその後、これらの議論を明白にポラニーの理論的枠組みに当て嵌め、「管理された交易は「湾」での操作とロンドンでの市場貿易だった」と主張した。 アーサー・J・レイは2つの影響力ある著作で毛皮貿易の経済的研究の方向を恒久的に変え、イニスとロートスタインの極論の間で修正された形式主義者の立場を示した。レイは「この貿易の仕組みは、「贈与交易」とか「管理交易」とか「市場貿易」とかにきっちりとラベル付けするのは不可能である、というのもこれら全ての形態要素を包含しているからである」と説明した。インディアンは様々な動機で交易に携わった。形式主義者や実在主義者がやったようにこれらを単純な経済あるいは文化の二元論に落とし込むことは無益な単純化であり、それが説明できる以上に曖昧にしている。さらにレイはハドソン湾会社に残される交易勘定や帳簿を優れた質的分析に用い、この分野の方法論の限界を拡げた。レイの立場に従って、ブルース・M・ホワイトは先住民族がそれまでの文化様態に新しい経済関係を当て嵌めた複雑な方法をより微妙に描写することにも貢献した。 リチャード・ホワイトは形式主義者と実在主義者の論争が「古臭く飽きられた」ことを認めたうえで、実在主義者の立場を再活性化しようとした。安易な単純化に対して警告するというレイの中庸的な立場を採りながら、ホワイトは形式主義に対する単純な議論を進めた。「生活は事業ではなく、そのような単純化は過去を歪めることに過ぎない」その代わりにホワイトは、ヨーロッパ人とインディアンがその文化的違いを適合させようとした「中立地帯」の部分を毛皮貿易が占めていたと主張した。毛皮貿易の場合に、これはインディアンが毛皮貿易に吹き込んだ政治と文化の意味合いからフランスが学ぶことを強いられたことを意味している。支配ではなく協調が必要だった。
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