毛皮貿易撤退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:57 UTC 版)
「ジョン・ジェイコブ・アスター」の記事における「毛皮貿易撤退後」の解説
アスターはその事業からの撤退後、残りの人生を文化事業のパトロンとして過ごした。鳥類学者ジョン・ジェームズ・オーデュボンや詩人で作家のエドガー・アラン・ポーを支援し、またヘンリー・クレイの大統領選挙運動を支えた。 1848年にアスターが死んだ時にはアメリカ合衆国で最も裕福な人物となっており、少なくとも2,000万ドルと見積もられる資産を遺した。その遺志でニューヨーク市の大衆のためにアスター図書館を建てる費用として40万ドルを遺贈した(後にニューヨーク公共図書館に統合された)。またドイツの故郷ヴァルドルフにある救貧院には5万ドルを寄付した。 アスターはその遺産の大半を次男のウィリアム・バックハウス・アスター・シニアに遺した。長男のジョン・ジェイコブ2世は精神障害があり、その人生を全うするに十分な医療費は遺された。 アスターはニューヨーク市マンハッタン区のトリニティ教会墓地に埋葬されている。ハーマン・メルヴィルは短編『代書人バートルビー』(Bartleby the Scrivener) でニューヨーク初期の資産家の象徴としてアスターを扱った。 ニューヨーク公共図書館(五番街と42番街角)入り口に座っている2頭のライオン大理石像は元々レオ・アスターとレオ・レノックスと名付けられており、図書館の創設者であるアスターとジェイムズ・レノックスに因む命名だった。その後ロード・アスターとレディ・レクソンと呼ばれるようになった(2頭共に雄)。ニューヨーク市長フィオレロ・ラ・ガーディアは世界恐慌のさなかに2頭を「忍耐」(Patience) と「不屈」(Fortitude) と改名した。
※この「毛皮貿易撤退後」の解説は、「ジョン・ジェイコブ・アスター」の解説の一部です。
「毛皮貿易撤退後」を含む「ジョン・ジェイコブ・アスター」の記事については、「ジョン・ジェイコブ・アスター」の概要を参照ください。
- 毛皮貿易撤退後のページへのリンク