ヴァルドルフ
ヴァルドルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 14:46 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ヴァルドルフ (Waldorf, Walldorf)
ドイツの地名。
- ヴァルドルフ (ラインラント=プファルツ) (Waldorf): ラインラント=プファルツ州アールヴァイラー郡の町村
- ヴァルドルフ (バーデン) (Walldorf): バーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡の市
- ヴァルドルフ (ヴェラ) (Walldorf): テューリンゲン州シュマルカルデン=マイニンゲン郡の町村
- メルフェルデン=ヴァルドルフ (Mörfelden-Walldorf): ヘッセン州グロース=ゲーラウ郡の市
アメリカ合衆国にも Waldorf という街が存在する。英語読みは「ウォルドーフ」。
- ウォルドーフ (メリーランド州)
- ウォルドーフ (ミネソタ州)
ヴァルドルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 07:37 UTC 版)
「メルフェルデン=ヴァルドルフ」の記事における「ヴァルドルフ」の解説
ヴァルドルフは、1699年に「Waldenserkolonie am Gundhof」(グルントホーフのワルドー派コロニー)として 14家族によって建設された。これについては、ヘッセン=ダルムシュタット方伯エルンスト=ルートヴィヒが、三十年戦争で住む者が大幅に減少した土地にワルドー派(プロテスタントのフランス人難民)を受け容れる、と説明している。この町は 1715年から現在の名前になっている。行政上の変遷は上記メルフェルデンを参照のこと。 長年にわたる経済的苦境の後、フランクフルト、オランダ、イギリス、スイスの改革派組織からの寄附に助けられ、1804/05年にヴァルドルフに教会が建設された。ドイツ語の浸透は徐々にしか進行しなかったが、1815年には神事でフランス語が使われなくなった。 その後、1879年に鉄道 フランクフルト - マンハイム線が営業を開始すると、この町はそれまでの農村からベッドタウンに変貌していった。しかし継続的な移住による発展は、両世界大戦によって阻まれた。 1935年頃から1944年まで、ヴァルドルフには強制収容所ヴァルドルフ分所があった。1944年にユダヤ人の男女 1,700人がハンガリーから強制的に送致され、フランクフルト空港で滑走路の拡張・修繕工事に従事させられた。こうした過去の一場面は初め忘れ去られていたが、1972年に興味を持った 3人の若者が再発見した。このできごとは2003年の映画「ロルバーン」(直訳すると「滑走路」)のテーマとしても扱われた。2000年にかつての強制収容所ヴァルドルフ分所跡に記念碑が建立され、歴史学習路の出発点となっている。この記念碑は、この収容所で生き延びた女性の臨席の下、作家ペーター・ヘルトリングの協力によって除幕された。 第二次世界大戦後、多くの被追放者や難民を受け容れたことで、多くの問題が生じたものの、小都市へ発展していった。 この町は、1962年にヘッセン州議会の議決によって市に昇格した。
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