橋蔵の映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 14:24 UTC 版)
往年の橋蔵主演映画はコンスタントに興収2億5000万円から3億円(以下、金額は興収)を叩き出していたが、1964年一月の『人斬り笠』『風の武士』辺りから興行成績が低下した。以降、興行的失敗が続き、『紫右京之介 逆一文字斬り』も悪く、橋蔵の極めづき『新吾番外勝負』も1億5000万円に達せず。『御金蔵破り』は朝丘雪路との共演という話題性もあって1億5000万円をキープしたが『大喧嘩』『幕末残酷物語』も悪く、『黒の盗賊』はまあまあだったが、1965年2月の『バラケツ勝負』が1億そこそこと落ち込んだ。橋蔵は東映と契約以降で初めて1965年の正月映画から外されたが、岡田は1964年末に「いろいろいわれるが、時代劇そのものが転換期に来ているので、橋蔵君が低迷しているのではない。彼は何といっても軟調の第一人者で、長谷川一夫さんの後を直接に継ぐ者だ。といっても、彼はもう中年なのだから、美しいだけではなく、リアルな芝居が要求されている時代でもあるし、筋金の通った演技を確立することが必要になろう。だが、彼の場合は、それが最終の目的ではなく、その上にパッと華やかな花を咲かせて欲しい。そういう意味で、東映としても、秋には『源氏物語』を実現させたい。橋蔵源氏を取り巻く女性としては、佐久間良子や三田佳子はもちろん、フリーの岡田茉莉子、有馬稲子、山本富士子といった絢爛たるキャストを組むつもりでいる。だがそれも結局は結婚問題に繋がってくる。今までは人気で持ちこたえていたが、これからはスターというより俳優に成りきらなければいけない。そのためには人間的な成長が演技の基盤になるのだし、一般的にいって私生活を安定させなければなるまい。その意味で、今起こっている問題には、はっきり決りを付ける時期が来ていると思う。むしろそうしないと大衆の期待を裏切ることになるだろう。但し、私としては、必ずしも常識的な結末(子供のいる方と結婚)を期待しているわけではない。責任は責任として、一生の伴侶になる人なのだから、ゆきがかりに捉われず、自分が一番いいと思う人を選ぶのがいいと思う」と述べていたが、橋蔵未出演の正月映画『徳川家康』が不振だったことから、岡田は1965年に製作予定だった時代劇の大半を中止させた。この煽りで橋蔵主演・工藤栄一監督で、1965年2月クランクインを予定していた昭和初期の大阪を舞台にしたスリの話『飛びっちょの鉄』や、錦之介の「宮本武蔵シリーズ」五部作に対抗した『佐々木小次郎』は、橋蔵も大乗り気だったが製作が一旦決定と報じられたが中止に。先述の『源氏物語』は製作されることはなかった。橋蔵の後援会は影響力が強く、また橋蔵と親しい映画評論家などが岡田の企画が悪いなどと週刊誌で叩くため、橋蔵の企画は狭まった。岡田は1965年の春先に「橋蔵君の新路線として、男性向きアクションをあえて連発したのだが、やはり女性ファンは美男の橋蔵がお好きなようだ。今後は御要望に応えて、その線を通していく」と、橋蔵のために意欲的な企画を考えるのはもう投げ出したような発言をした。『飛びっちょの鉄』の中止でクランクインが1965年春先に繰り上げられた『大勝負』は、水も滴る美男やくざに設定が変更された。またその後も"美男橋蔵"の看板を上げ直す方針が打ち出され、橋蔵自身はシリアスな作品に取り組む錦之助を意識していたといわれたが、橋蔵の冒険映画が製作されることはなくなった。
※この「橋蔵の映画」の解説は、「主水之介三番勝負」の解説の一部です。
「橋蔵の映画」を含む「主水之介三番勝負」の記事については、「主水之介三番勝負」の概要を参照ください。
- 橋蔵の映画のページへのリンク