橋詰家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:42 UTC 版)
「江戸時代に富田一色村の海運橋の東北詰に伊藤氏が住んでいました。これを橋詰と言いました」と、富田一色観静寺の境内の、大きな公孫樹の樹樹があり、そばの立札に記述されている。伊藤氏とは、伊藤惣平衛のことで、初代伊藤平治郎の叔父に当たり橋詰家の先祖である。橋詰家は代々回船問屋を営み、主要な事業として五十集を担当していた。その後、惣兵衛の子孫の伊藤宗兵衛は、富田一色本町に神楽獅子を、富田一色村の観静寺に地獄絵図と観音図各一幅を寄進している。
※この「橋詰家」の解説は、「伊藤平治郎」の解説の一部です。
「橋詰家」を含む「伊藤平治郎」の記事については、「伊藤平治郎」の概要を参照ください。
- 橋詰家のページへのリンク