核電子仮説の問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 22:39 UTC 版)
1920年代を通して、物理学者たちは原子核は陽子と「核電子」で構成されていると予想していた:29–32。この仮説の下では窒素14(14N)の原子核は14個の陽子と7個の電子で構成されているため、+7素電荷単位の正味電荷と14原子質量単位の質量を持つ。核の周りには14N原子を完成させるために、ラザフォードにより「外部電子」と呼ばれた別の7個の電子が回っていた。しかし、この仮説に関する明白な問題があらわになる。 ラルフ・クローニッヒは1926年に観測された原子スペクトルの超微細構造が、陽子-電子仮説と矛盾していることを指摘した。この構造は、周回する電子のダイナミクスに対する核の影響により引き起こされる。仮定の「核電子」の磁気モーメントは、ゼーマン効果と似た超微細スペクトル線分裂を起こすはずであったが、そのような効果は観測されなかった:34。まるで電子が核内にあるときに磁気モーメントが消失したように見えた。 1929年のフランコ・ラゼッティによる分子のエネルギー準位の観測は、陽子-電子仮説から予想される核スピンと一致しなかった:35。二窒素(14N2)の分子ラマン分光は、偶数の回転準位から生じる遷移が奇数準位からの遷移よりも強いことを示したため、偶数準位が多く存在する。したがって、量子力学とパウリの排他原理によると14N原子核のスピンはħ(換算プランク定数)の整数倍である。しかし、陽子と電子は両方とも½ ħの固有スピンを持ち、奇数個(14陽子 + 7電子 = 21)のスピン±½ ħを配置してħの整数倍のスピンを与える方法はない。 1928年にオスカル・クラインにより発見されたクラインのパラドックスは、原子核内に閉じ込められた電子の概念に対してさらなる量子力学的異論を提示した。ディラック方程式から導出されたこの明確なパラドックスは、ポテンシャル障壁に近づく高エネルギー電子が障壁を通過する可能性が高いことを示した。どうも電子はポテンシャル井戸により原子核内に閉じ込めることができないようであった。このパラドックスが意味するところは当時激しく議論された。 1930年ごろまでは、原子核の陽子-電子モデルを量子力学のハイゼンベルクの不確定性原理と調和させることは一般的に困難であると認識されていた:299。この関係 Δx⋅Δp ≥ ½ħ は、原子核の大きさの領域に閉じ込められた電子の運動エネルギーの期待値は10–100 MeVであることを暗に示している。このエネルギーは、核から放出されたベータ粒子の観測されたエネルギーよりも大きい。期待される電子エネルギーは、アストンらにより核子あたり9MeV未満であることが示された結合エネルギーよりも大きい。 これらの考慮する点は全て、電子が核に存在できないことを「証明」するものではなかったが、物理学者はその解釈に挑むことになった。ガモフは1931年の教科書でこれらの矛盾を全て要約した。解釈の混乱に加え、ベータ崩壊電子の連続的なエネルギー分布は、エネルギーがこの「核電子」過程により保存されていないことを示しているようであった。実際、ボーア、ガモフ、ハイゼンベルクらは量子力学の法則が核内部で適用されない可能性を考慮した:40。そのころ量子力学の法則が古典力学の法則を覆したため、このような考察は明らかに合理的であった。この矛盾は核に電子がないことが分かるまで、不可思議で厄介なものであった。
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