株仲間解散による影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:25 UTC 版)
「株仲間解散令」の記事における「株仲間解散による影響」の解説
北町奉行・遠山景元配下の同心宍戸郷蔵(ししどごうぞう)は、発令から1ヵ月後の時点では、値下げした商品もあれば値上げした商品もあると報告しており(『市中取締類集』一)、生産地と江戸の商人たちの「人気」(気風、気質)が一変すれば値下げが期待できそうだという見解を述べていた。 株仲間解散によって、自由競争と自由取り引きによる物資流入の増加、そして物資が豊富になることで物価下落を期待した幕府は、町奉行所内部に諸色掛与力を置き、その下に諸色掛町名主を任命、強制的な価格の引き下げと監視をおこなわせた。しかし、日用品の物価は下落したが、品によっては下がらないものがあったため、天保13年5月に出された物価引下げ令では、密かに巡回役人に買い試しをさせ、違反者は厳罰にすると触れている。 流通の独占を停止し、業者の新規参入により物価の下落を図ったが、両替商などの業種は資本力や信用が必要なので新規参入は難しく、自由競争による物価の引き下げは果たせなかった。一方で簡単に参入できる業種では、過当競争や取引秩序の破壊によって、かえって流通が混乱した。両替商のうち、金銀貨の両替・預金・貸付などを扱う本両替は、仲間が解散させられると取り付け騒ぎが起きたため、預り金や御用向きはこれまで通りとした。また、参入した素人がそれぞれの見込みをもって商品を発注するので産地の相場が上昇していた。 また問屋株には、株仲間へ加入したという事実を表わし、その業種での営業を保証する機能があるが、同時に資産価値・担保価値も有しており、株を担保とした金融手段ともなっていた。しかし、株仲間が解散され、株が消滅したことで株を担保にした金融がすべて停止した。表通りで手広く商売している十組問屋でさえ店舗を含めて家屋敷を所有しない者の方が多く、地借(借地人)・店借(借家人)と呼ばれる階層の者が多く、彼らが抵当に入れられる物は仲間株くらいしか無かった。そのため、江戸・大坂をはじめとする全国の金融活動がほとんど麻痺し、さらに問屋を通じた零細企業への運転資金の供給も止められたため、経済は大混乱に陥った。京都でも株式に相当する「印札」による金融ができなくなったことが報告されている。 江戸時代後期にいたって、庶民の所得が増えて需要が拡大したことで日本各地の地域市場が成長し、江戸や大坂といった中央の大市場への商品流通量が減少していたことも、物価の上昇の一因となっていた。株仲間の解散により、中央市場への商品流通機能はさらに低下することになった。 幕府が民間の経済的取引に対して契約履行を保証する制度を作らなかったため、株仲間は取引のルールを自主的に決めることで、運営に当たっていた。仲間商人のいずれかに代金の不払いや商品の数量不足などの不正行為をした取引相手がいた場合、仲間内で評議した上で、全員一致して取り引きを停止することで、代金支払の保証・品質の保持などの自衛手段を講じてきた。しかし、仲間の解散によりそうした商取引にともなう債権保全の手段も失われた。
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