株仲間再興後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 13:36 UTC 版)
大坂では安政4年(1857年)に仮組を本組と合併させ、天保期の解散令以前に冥加金を上納した分は先例に準じて冥加金を納めよと命じられ、翌5年(1858年)分から徴収されることになった。そして新たに上納を出願した雑穀問屋ほか9つの仲間が文久元年(1861年)から上納することになった。 大坂だけでなく、江戸でも冥加金の上納は再開されることになり、幕末期には幾多の献金をも課徴された。大坂の株仲間は、嘉永6年(1853年)・万延元年(1860年)の2回献金をしている。 慶応4年(1868年)5月、京都商法会所が布達した「商法大意」によって、仲間の加入者数制限を禁止し、冥加金も廃止された。諸仲間には新政府から鑑札が下付されたが、明治4-5年前後ごろに各府県で諸仲間を解散させる措置がとられ、明治5年(1872年)には江戸時代当時の株仲間は解体・消滅した。しかし、仲間解散により不正行為が横行し、大阪市場では新規市場参入者が顧客の奪いあいをして市場が大きく混乱したため、各業種で自然発生的に同業組合が再組織された。
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